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変な天気。5月31日 
 投稿者:山田  02/06/01 Sat 01:10:40

昨日の夜から雨が降りだし、今日も午前中は降ったりやんだり。
先週の金曜日も雨降りだったので、訪問先へスタッフを送りながらどちらかが雨男か雨女だ、といって笑っていた。

午後からはやや晴れる。窓を開けて走ると涼しいが、閉めると何故だか蒸し暑い。まだまだ雲が多く風も強い。暑いのは嫌なので窓を開けて走ったが、髪がぼさぼさになるのを気にしながら事務所に戻った。

夜はスタッフ希望の人と面談。その後、他のスタッフに本を渡す予定だったが、本の持ち主である相馬氏が暑気に当たって動けないとの連絡が入る。今日の奇妙な天気にやられたのだろう。漂流教室は電話と車と体が資本なので、メンテナンスを慎重にしなくては。しかたなく、夜はいとこと共に、相馬氏の大好きなカレーを食して、回復を祈った。


これから飲むのだ5月30日 
 投稿者:相馬  02/05/30 Thu 20:12:57

昼、「漂流教室」を手伝いたい、という天使のような方にお会いして感涙にむせび泣き、その後は事務所に詰める。事務所の窓から見えるホームセンターの真っ白な屋根に、一瞬雪が降ったのかと錯覚する。そんなことないと頭ではわかっているけれど、感覚的に摺りこまれている光景なのだ。

最近すっかり日が長くなった札幌を車で走っていると、山際にひときわ明るい星が光る。宵の明星。金星だ。こんなことがわかったって、役に立たないということでは三角関数や二次方程式となんら変わりはない。不公平だと思う。

で、今日はこれから飲みに行く。日誌のアップが早いのもそのせいだ。「漂流教室」のような胡散臭い団体にも、会議スペースを与え、コピー機印刷機を貸してくれ、パソコンも使わせてくれる、北海道市民活動促進センターという素敵な場所がある。飲み会メンバーは、そこの職員さんに利用している団体の方々。お礼と親交を兼ねて、と思って企画したのだが、明日から出入り禁止になる恐れだってある。ひとつ宣伝して予防線を張っておこう。

北海道市民活動促進センター(↓)。職員さんは良い人ばかり。登録団体も見てね。

http://www.fureaizaidan.or.jp/npo.html


変な言葉の5月29日 
 投稿者:山田  02/05/29 Wed 23:11:21

今日出会った変な言葉。
「自分さえよければよいといった自己責任を果たそうとしない考え方」これは「自分さえよければ」の後ろに「他の人から」を入れて、「自己」と「責任」の間に「に求められる」を入れないと意味が通じないのではないか。

例えば、「自分さえよければ」と考えて自分の部屋を掃除した時に、「他の部屋も掃除しろ。そうする責任がある」と言われる筋合いはない。それは、お願いされるべきことだ。

「自己」が負うべきと考える「責任」が、他の人の求める責任と違うこともあるということだ。その時に求められた責任を果たすべきかどうかは場合によって違う。上の例で言えば、強制するなら「家族だから」などの他の基準を用意することになる。しかし、その時には、用意された基準の妥当性が問題になる。そこで衝突が起こったときは話し合いをするなりして解決していくことが大事だと思うのだが、この言葉は「自分」の考えに基づいた行動と話し合いを巧妙に否定する。「君はそういうけど、僕はこう思うんだ」という言葉が通じない世界は怖い。

しかしながら、この言葉、最近世間でよぉく見聞きするんだよな。「公」と「個」なんて飾りと共にね。ちなみに今日は、ある役所から頂いた資料の中にありました。


イージードライバー5月28日 
 投稿者:相馬  02/05/28 Tue 22:39:59

車を運転していると、つい狭い道に入ってしまう。狭いといってもあくまで北海道レベルの話だけれど。スピードなんて薬にしたくても出ない車に乗ってるので、大きな道路は怖いのだ。みんな速いから。

そうやってタラタラ運転していると、結構思いがけない発見をしたりして楽しい。この間、札幌郊外から帰って来る道すがら、とても大きな夕焼けを見た。驚くばかりの大きさだった。それなのに、周りの車は目もくれず走り去って行く。一人ゆっくり車を走らせた。

なんてありがちな話なんて書くもんか。てやんでえ。夕焼けも胸焼けも関係あるか。なにもかにもフルスピードで置いていけ。

なんてありがちな啖呵を切ったりもしない。車のスピードは本当に出ないけど、それはそれで、それだけの話。もしスピードが出たって、それだけの話だ。路地で変な看板を見つけたが、夕日は呆れるほどでかかったが、それもそれで、それだけの話。思わせぶりな意味なんてありやしない。

車を走らせるのだって楽しかったりめんどくさかったりだ。そんなもんなんだ。もう、何が言いたいのか良くわからなくなったから、こんなもんで終わり。


と、いうようなことを考えて運転してます。いつも。


新興宗教5月27日 
 投稿者:山田  02/05/27 Mon 22:46:53

さて、新しい一週間の始まりです。今週はまたどんな人に会うのか、楽しみです。

相馬氏は休日をプロレスで過ごしたらしいですが、僕はラーメンを食べに行った以外はずっと家でした。ネコところころしてました。みなさんも僕と一緒にだらだら教の信者になりませんか。入信するのは簡単。ころころしながら、「あー、今日もだらだらすごしたなぁ」と一言つぶやいてください。ただし、その時、後ろめたくなる人はまだ修行が足りません。しっかりとだらだらしてください。って、なんかヘンだな…。

(あ、今日はウィークデーだから働いていたんですよ)


どうにかしてくれ5月26日 
 投稿者:相馬  02/05/27 Mon 00:53:14

土曜の夜から今朝7時まで飲み、今夜も飲んで、ついさっき帰ってきた。すっかりご機嫌。3週間ぶりの日曜オフ。昨日今日と連日のプロレス観戦。おまけに、学生時代の友人が結婚して、懐かしい顔にもたくさん会った。

ところが、しゃっくりが止まらない。もう2日間続いてる。せっかくの楽しい週末なのに。横隔膜が痛い。誰か止めて。お願い。


IT時代の5月25日 
 投稿者:山田  02/05/26 Sun 01:42:59

今週の月曜日に新聞記事になってからというもの、ながいながい一週間を過ごした。ようやく、週末を迎え、明日は久しぶりの休みだ。大学時代のバイト先の仲間と麻雀に興じた。

仲間は今全国に散っている。どうやって麻雀したかって?そこはこのIT時代。インターネットで連絡を取り合い、ネット上の雀荘で打ったのだ。しかも、音声でやりとりしながら。昔のように馬鹿話をし、鳴いたつもったにうち興じる。モニターの前で笑い転げるこの一時のなんと楽しいことか。

出会いが会った人ならば、このようにして、自宅に居ながら楽しい時間を共有することができる。この時間までの間、僕はひとりで晩酌している人よりは人とつながる時間を持てた。みなさんはこの土曜日、どれだけの人とつながることができましたか?


どれほど大事か人間関係5月24日 
 投稿者:相馬  02/05/24 Fri 22:49:16

先生方の研修会に参加したら、話題が人間関係のことばかりで驚いた。子どもの手記を読むと、自分や友達、先生のことは書かれていても、花鳥風月について触れたものが一切ない。これではいじめが起こって当然である。養老孟司氏がそんなことを言っていた。

うちの子どもは人間関係を結ぶのが下手で困る、と相談されることがある。私も、一人で本を読んだり山を登ったりする方が、大勢で遊ぶより好きな子どもだったので、なんだか自分のことを言われているようでズキンとする。今でもあまり得意じゃない。だからというワケでもないけれど、つい養老氏の肩を持ちたくなる。

丈夫で健康なら、人生それなりになんとかなる。健康でなかったなら、なにかしら工夫する。それこそ「個性」の領分だ。人間関係中心主義というか、「人間関係がなにより大事」をあらゆる子どもに求めるのは、ちょっと無理な話に思う。

朝には気持ち良く晴れていた空が、次第に雨模様になり、そのうち雹まで降り出した。黒雲切り裂く稲光。轟く雷鳴。どこかの小学校では雷が落ちて配膳室がめちゃめちゃになったらしい。しかし夕方になって雨は上がり、虹の橋がかかった空に、今はこうこうと輝く月ひとつ。そういや、今朝、今年初めてのセミの声を聞いた。エゾハルゼミ。透き通った羽を持つきれいなセミだ。

偉そうなことを言いながら、日誌では花鳥風月なんてこれっぽちも触れてないことに気づいて、あわてて書いた。危ない危ない。天気のことだけでも、こんなに書くことがある。転じて周囲に目をやれば、日々、一体どれだけの人と接しているか。たいしたことないんじゃないですか。人間関係はどれほど大事か。天気より書くことあるのかな。


ながいながい5月23日のはなし 
 投稿者:山田  02/05/23 Thu 23:48:03

サッカーW杯のカメルーン選手団は、飛行機の遅れやらなにやらで日本到着が遅れている。その中で一人だけ、今日、日本に到着した選手がいる。彼の名はメットモ。出発の時間に遅刻して、一人だけパリ経由の飛行機で仲間を追いかけたのだそうだ。ところが、当然先に着いているはずの仲間は本日午後11時過ぎてもまだ日本には着いていない。ちなみにこの件について、くだんの選手は「ノーコメント」だそうな。メットモだけに、みっともないコメントは出せないといったところか。

で、このカメルーン選手団を待つ大分・中津江村の村民の方々に負けないくらい、今週はぼくらにとって長く感じられる。今日も、二人して家庭を相談してまわった。毎日毎日、新たな出会いと問題に向かうことは楽しい。しかも、それが長く感じられるのだから、こんな幸せなことはない。さあ、今度はどんな人に会うのだろう?


失敗がなんだ5月22日 
 投稿者:相馬  02/05/23 Thu 03:39:35

内田百間(本当は門構えに月)によると、忘れることは一向に差支えないらしい。続けて曰く、覚えた以上は忘れまいとするのは随分けちな話だ。覚えることは覚えることに意味があり、忘れることは忘れることに意味がある。忘れたということと、元から知らないということは大きな違いだから、忘れるということを心配する必要はない。また、努力しなくても自然に忘れる。

誰だか忘れたが、「中学生に失敗する権利を」と主張している人がいるそうで、まあ言いたいことはわかるが、「権利」という言葉が固っ苦しくて、どうも好きになれない。かえって緊張、失敗しそうで、百間先生のような軽みがない。

百間先生の話の、「忘れる」を「失敗」に置き換えてみる。失敗には失敗の意味がある。失敗と、元から何もしないは大きな違いだ。失敗しないようにしようなんて随分けちな話である、などなど。「権利」なんて物騒な話より愛嬌があって、私は好きだ。失敗のひとつやふたつと、おおらかな気持ちになれる。

例えば、今日、私はこんな失敗をした。

用事を済ませて戻ってくると、路肩に停めておいた車がない。慌てて辺りを見回すと、なぜか辻向かいの歩道に停まっている。降りるとき、サイドブレーキをかけ忘れたのだ。車は路面の傾斜に沿って動き出し、そのままバックで交差点を斜めに横断、歩道に乗り上げて止まったらしい。

「権利」などとおおげさに構えなくとも、このように失敗はするものなのだ。努力しなくたって、勝手に失敗してしまうのである。恐れることなどない。たとえ失敗したところで、無人の車が交差点を渡って、人も轢かず、車にも電柱にもぶつからないくらいだから、たいしたことはないのだ。もちろん、私はこれっぽっちも気にしてない。


電話を待ちながら5月21日 
 投稿者:山田  02/05/21 Tue 21:52:27

新聞に載ったおかげで、昨日、今日とたくさんの電話を頂いた。近くは同じ町内から、遠くは旭川・室蘭まで。内容は相談、激励、アドバイス、そして、「私にも何かできることはないでしょうか」という申し出。

近い将来、みなさんの力を結集することができればと思います。しばしのお待ちを。

それにしても、電話をまっているのは緊張する。緊張すると小用が近くなるのだが、トイレに行っている間に電話が鳴るかもと思うと、小用を足す時も緊張していなくてはならない。そこでまた近くなる…、と無限循環に陥るのであった。

本日は二人、入会することになった。少しずつ生徒が増えていく。これを見ている生徒がもういるかもしれない。漂流しているとひとりぼっちな機がするけれど、同じ仲間はいるんだよ。いつか会えるといいね。


書いてないけど仕事もしてます5月20日 
 投稿者:相馬  02/05/20 Mon 22:33:05

「ゆとり教育」と「言う通り教育」って似てますね。

本屋で久しぶりにマンガを買う。

『魁! クロマティ高校』4巻
『BECK』11巻
『山下和美傑作短編集』全1巻
『神々の山嶺』3巻

特に山下和美の「ROCKS」は素晴らしかった。買って良かった。ただ、探しているマンガ2冊がちっとも見つからないのが悲しい。

鈴木翁二の『こくう物語』
谷弘児の『怪傑蜃気楼(ミラージュ)』

青林堂育ちの私としてはどうしても欲しい。オージといえばミッチーなんかじゃなく、やはり鈴木翁二じゃないか。ああ。やっぱり、先月東京で見かけたときに買えば良かった。

時間の使い方にかなり融通の利くのが無職トウメイ生活の良いところだ。本屋のついでに、勤めていた頃にはどうしても行けなかったラーメン屋まで足を延ばす。ところが既に閉店。まだ2時なのに。早すぎる。

夕方、ビールと刺身を買って、電話番の山田宅を訪ねる。それにしても髪を切らねば。新聞記事に写真が載らなかったのは、ルンペンまがいのボサボサ髪が災いしたに違いない。近日中に切ろう。友人から紹介を受けた床屋は「ゼロヘアー」というのだが、なんだか禿げそうじゃないか。いいのかな、行って。


「漂流教室」紹介の新聞記事(↓)。新聞では1面に載ったので驚いた。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20020520&j=0046&k=200205207679


同じ話題の5月19日 
 投稿者:山田  02/05/20 Mon 01:14:00

またも「先生も大変だ」という話し。

友人の中学校教師、学校で新車の給油口をドライバーでこじ開けられる憂き目にあった。犯人はどうも生徒らしいが、追及することもできずに泣き寝入り。修理代損した、とがっくりしている。僕の中学時代は、校内暴力華やかなりし頃の教訓により管理教育がごりごり進められていたのだが、今やその手は封じ手になっていて教師もどうすればよいか模索中なのは、昨日の相馬氏の話しでもわかる通り。

また、本日聞きに行った不登校児の親の会「トポス」講演会で語っていただいた中学教師の話しで、総合学習・選択教科制への対応途中に相対評価→絶対評価への評価基準の変更があったことや、文科省大臣の1/17アピール「学びのすすめ」で「学習指導要領は最低基準であり、理解の進んでいる子どもは、発展的な学習で力をより伸ばす」と発表されたことによる混乱ぶりが、報道されている以上に生々しく伝わってきた。

子ども一人一人をよく見て対応することが、悩んでいる子どもを救うためにまず必要で、教師の責務であることはだれもがわかっている。では、今、教師にそれをおこなうだけの精神的・時間的余裕がある状況かというと上記から見て、甚だ疑問だ。にも関わらず、世の中や文科省はますます教師の逃げ場を無くしているように見える。「しっかりやっている教師もいるのだから、泣き言いうな」と発破をかける論も聞くが、自分の弱さを認めない教師になれと言っておいて子どもの弱さを受け止める教師になれと言う法は無かろう。こういうことを言う人は、子ども一人一人のことも、教師一人一人のことも見ることが出来ていないと思われる。

ノイローゼになる教員も増加しているそうだが、「ゆとり教育」を生み出すために「ゆとり教員」が必要だなぁと感じた次第。


スズメ踊る5月18日 
 投稿者:相馬  02/05/19 Sun 00:55:32

中学1年のときの担任はわりにポンポン生徒を殴る先生だったが、私はわりと気に入っていた。去年、同窓会で10数年振りに再会した。

「先生、まだ生徒殴ってるんですか」
「そんなことしてないよ。ホラ、これ見ろ」
「なんですか」
「スクールカウンセラーの資格だ」
「いや、そんな仕込みギャグはいいですから」
「本当だよ。今の教師はこんなものも必要なんだ」
「ははあ。気の毒ですね」
「な。大変だろう」
「いや、生徒が」
「うるさいよ」
「しかし、先生がカウンセリングねえ」
「なんだよ」
「面談室とかあるんですか」
「ああ」
「何か悩んでるのか。俺に話してみろ、とか言ってるんですか」
「ああ」
「困ってるなら力になるぞ、とか」
「ああ」
「俺がここまで言ってるのにどうして話さないんだ。おいコラ、話せ。話せって言ってるだろ」
「おい」
「ボカスカボカ」
「だから殴らないって言ってるだろ」
「本当に殴らないんですか」
「本当だ」
「ああ。世も末だ」

平成10年の「心の教室」政策で、急遽、学校にカウンセラーが必要になった。先生もそれで資格を取ったんだろう。しかし、そんなになんでもかんでも教師に求めるのは、実はちょっと無茶な話だ。

学校のできない部分を他が補えば済む話で、全部教師にやらせる必要はない。話を聞くのが上手な先生もいれば苦手な先生もいる。子どもの個性を認めよとはよく聞くが、教師の個性は無視されがちだ。それは、結局、めぐり巡って子どもの元に返ってくるだろう。

本日、一人目の子どもが入会。欣喜雀躍。外ではスズメが強風にあおられ、こちらもクルクル舞っていた。


陰陽五行説の5月17日 
 投稿者:山田  02/05/17 Fri 21:21:40

電柱を折った山田です。

丁度二人が陰と陽の如く、バランスが取れていれば問題ないのです。今日は、相馬氏がVOのスタッフとプロレスの話題で盛り上がっていた。杉森代表も突っ込めないくらいに。話だけならまだしも、その場でジャーマンスープレックスやアキレス腱固めの応酬を始めるのは、今後無しにして頂きたい。漂流教室の予算が「ガラス代」や「床修理費」で吹っ飛ぶのは今回だけにしよう。

しかし、二人でいるから陰陽の関係になる。五人のスタッフで五行説に基づいた活動をするようになれば、問題はない。緊急でスタッフを募集しよう。


いいから落ちつけ5月16日 
 投稿者:相馬  02/05/16 Thu 22:12:26

しかし、この1週間は長かった。今日は久々に丸一日オフ。のんびり猫と昼寝、無職トウメイ生活を満喫する。これだよこれ。仕事がないって素晴らしい。ヒマばんざい。4時ころ起きたら、猫と自分のよだれで袖がガビガビだった。でもまだ着替えてない。これもヒマのなせるわざ。ヒマブラボー。

それにしても、昨日の山田はよっぽど感激したらしい。むやみにハイテンションで、どうも扱いかねた。人の話は聞かないし。あらぬことは口走るし。飛ぶし跳ねるし。電柱折るし。今日の休みで少し肩の力が抜ければと思っていたが、また1件問い合わせがあって、願いはもろくも崩れた。えヱ、この空回り野郎。少しは落ちつきゃあがれ。そんなんじゃ子どもがビビッて逃げちゃうよ。まったく。

ボランティアスタッフ募集のチラシを作りながら、柳家小さんの冥福を祈った。合掌。


責任重大5月15日 
 投稿者:山田  02/05/16 Thu 00:34:08

北海道フリースクール等ネットワークの役員会へ、挨拶ということでこぶし学習塾を訪問。こぶし学習塾・自由が丘学園・スコレー札幌の方々とお話をする。

こぶし学習塾の石戸谷代表から、漂流教室のことを紹介したい子どもがいると聞かされ、当人や保護者と会ってお話をした。僕は以前、企業的学習塾に勤めていたが、そこでは考えられなかったことだ。自分の所に来た生徒を他塾に紹介するなぞ、売上を減らすことだと叱責されるだろう。何故、売上を増加させるかといえば、多くの生徒に来てもらえば、それだけ成績向上して幸福になる生徒が増えるという論理だ。そして、指導に必要な設備・教材を整えるためにも売上は必要だという論理だ。

なるほど、そう考えることはあながち間違いではない。でも、この論理は、儲けることを第一に考えてもいいんだという主張を支えることもできる。そのように援用すると、生徒一人一人を見てそれぞれに合わせた教育というものを変質させるおそれのある論理だ。僕が前職を辞めたのは、この点に心から賛同できなかったからだ。

先週から色々なフリースクールを訪問しているが、そこで子どもに関わっている人たちは、一人一人のことを考えて、最善の道を模索して子どもに提供しようとしている。僕は、そうした人がいることに救われる思いがする。僕自身も、そのように活動していきたい。また、紹介を受けた人が入会を決めることになれば、僕たちは子ども自身・保護者・紹介して頂いた人に対して無限大の責任を負う覚悟で活動したい。


FLYING FAT MANだ5月14日 
 投稿者:相馬  02/05/14 Tue 20:58:15

駅の階段に足をかけ、ふと顔を上げると、上から男が降ってきた。

身長170cm。体重は90kgはあるだろう。地下鉄に乗り遅れまいと、思い切って階段の5段か6段を飛び降りたらしいが、無茶はするもんじゃない。案の定着地に失敗して転倒、ずいぶん遠くまでゴロゴロ転がっていった。丸いからね。

今週は主にフリースクールを回っている。今日訪れた「スコレー札幌」もそうだが、どこでもたくさんの経験談を聞かせてくれる。たくさんの資料を見せてくれる。そして一言、「大変だよ」と脅してくれる。お陰ですっかり肝が据わった。どうもありがとうございます。それにしても、忙しい中2時間も話につきあっていただいた栄花代表に感謝。

ところで、これからは「教師の話を聞く人」というのが必要になるんじゃないだろか。あちこちを訪問してふと思った。これはまだ誰も手をつけていないに違いない。「漂流教室」で子どもが集まらなかったら、先生専用のグチ聞きサービスでも始めようかな。聞いて欲しい方、こっそり連絡ください。秘密は守ります。


取材5月13日
 投稿者:山田  02/05/13 Mon 23:41:19

本日は道新の取材を受けた。

記事にどのように書かれることになるか、書かれる側はわからない。もし、記事を読んで思うところのある方は、是非メールでなんなりと意見を寄せてもらいたい。

その後、フリースクール「そら」を訪問。

親・学校とどのように関わっていくか。関わりの入り口となる点を観察して発見できるか。子どもとその周囲を巻き込んだ活動ができなければ、不登校・ひきこもりによる膠着した状況を打開できないことが、代表のお話でよくわかった。明日からも、ますます精進あるのみ。


草枕の5月12日
 投稿者:相馬  02/05/13 Mon 01:57:20

「引きこもりも仕事すれば問題ないんだよな」。
「引きこもり発電とかね」。
「老夫婦のところなんか引きこもりを貸し出しちゃう」。
「レンタル引きこもり」。

バカな話ばかりしていられない。昨日に引き続き、「自立ってなに」シンポジウムに参加。発言者に精神科医の斉藤環氏、「タメ塾」の工藤定次氏、引きこもりの経験者4人。参加者はなんと200人を超えた。

それにしてもみんな真面目だ。真面目過ぎて息が詰まる。しかも苦手な方向の真面目さだ。物事には必ず正解があると思っている真面目さ。偉い先生に訊けば解答が得られるのではないか、という真面目さ。そんな都合の良い話あるわけねえだろ。しかし、それにすがる状況もわからないではない。

「引きこもりは宿命、使命であったと考えたい。ただ流されるのではなく、人生に本当に役立つもの、人生の目的を見つけるための期間ではないか」。

参加者の一人が発言する。やめてくれ。そうやって、物事には全て意味があるのだ、役に立たないものはないのだ、という考えが彼らを追い込んだということはないのか。もっと無目的でいいじゃないか。どうして、役に立つ立たないという視点でしか見ることが出来ないのか。しかし、そう思わずにはいられない状況だって、わからないわけじゃない。

会が終わると同時に逃げるように外へ出た。いやいや疲れた。発言の一つ一つ、その裏の参加者の思い一つ一つに延々対峙してしまった。200人組手をこなしたようなもんである。そりゃ疲れて当然だい。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。でも、そんなもんじゃないのかね。大きく伸びをする。


「育て上げ」ネット 
 投稿者:山田  02/05/11 Sat 23:58:01

URLは以下です。みなさん、見てみましょう。

http://home.interlink.or.jp/~kick-k/index/


屁理屈かも、だが5月11日 
 投稿者:山田  02/05/11 Sat 23:34:37

本日は、青少年就労支援「育て上げ」ネットの北海道地区フォーラムに出席した。
関係諸機関をまわっていても感じていたのだが、やはり、ひきこもりや不登校は教育問題だけではおさまらないものだとの感を強くした。いろいろと考えることはあるのだが、一つだけ。

以前、インドや中国の旅行から帰ってきたとき、千歳から札幌に向かう列車の車窓から街を見て、あまりに人が道にでていないのに驚いたことがある。家はずらっと建ち並んでいるが、人は皆その中か自家用車で移動しているだけなのだなぁと思った。周囲との接触を断ち、狭い世界の中で過ごす人をさして「ひきこもり」だとすれば、日本に住む人は、みなその資格ありだろう。・会社と家の往復だけで過ごすサラリーマン・近所の人としか付き合わない母親・同級生と学校の先生、親しか知っている人がいない子ども なども一種の「ひきこもり」と言えるのではないか。とすれば、とりたてて部屋の中にいる若者だけを責める問題ではあるまい。むしろ問題にしなければならないのは、会社で働くだけで「社会人」とされること(しかもそれは、学校から一直線でなければどんどん「社会」に出れなくなっていく!)や、「明るく楽しい」人・家族であることを正常とし、それ以外を受け入れることのできないおかしいものと考えることではないか。


個性について考えた5月10日 
 投稿者:相馬  02/05/10 Fri 21:21:37

ローザンヌ国際コンクールはバレエ界の登龍門である。先日、そのテレビ放送があった。去年も観て今年も観たが、全く面白い。特に、審査員の辛口かつ一方的な解説がいい。「私は初めて見たときから彼女を気に入っています。だから客観的に評価することができません」なんて平気で言う。気に入らないダンサーには、「私は好きではありません」と素気無い。「私の鑑賞力がないからでしょうが」などと言ってはいるが、そんな気がさらさらないことは明白である。

番組中、「この振り付けは彼(彼女)の個性と合っていない」という批評をよく聞いた。例えば、可愛らしい感じの女性が猛々しいバレエを踊っても似合わない。反対もまた然り。ここまでは誰しも納得だろう。

ところが、この考えを突き進めると、道化はいつまでも道化で、優雅な役など回ってこないことになる。道化が彼(彼女)の個性に合っているからである。さらに言えば、バレエがヨーロッパのものである以上、それはヨーロッパ人の個性に合っているのだから、日本人が主役になるなどよっぽどでもなきゃあり得ないことにもなる。

私は、世間ほど「個性」を良いものと思っていないので、この考えに深く頷いた。「個性を伸ばす」とは、実は、諦めを強いることでもある。それを隠して言わないから、よく聞く「個性を伸ばす教育」という言葉はどこか嘘くさい。


ねむいねむい5月9日 
 投稿者:山田  02/05/09 Thu 21:39:33

今日は何故だか午前4時に目が覚めた。あまりにいい天気なので、うきうきと支度をして、今日の訪問先に向かった。今日は、子ども心療内科氏家医院だ。ここでは子どもたちのデイケアを行っているおり、医院の外にも楽しそうな声が聞こえていた。院長とのお話で札幌医科大学で行われている精神医療関係の勉強会について伺うことが出来た。今度、参加することに決定。

自由が丘学園にも挨拶をして、事務所に戻り軽くうち合わせ。その後、相馬氏を送る。しばらく車を走らせていると、助手席の相馬氏が特に何も話していないのに、ものすごい勢いで何かにうなずいているのに気づいた。何にうなずいているのかと声をかけると、寝ぼけた声か返ってきた。どうやら車の揺れに合わせて首ががくがく揺れていたようだ。昨日の眠りが浅かったのだそうだ。自分も朝の早起きのため、眠くなってきた。今日も早寝しよう。


スチャダラ&左とん平の5月8日 
 投稿者:相馬  02/05/08 Wed 22:46:46

先月末で前の職を辞めたので、「漂流準備中」などと言ってはいるが、なに無職の身である。

無職といえば、朝、勤めに出る人を横目にふとんに潜り込み、昼過ぎに起き出して食料を求めにコンビニへ、そこでマンガ雑誌立ち読み30分、腹がくちくなれば眠くなってまたふとんへ逆戻り、というダメ人間生活と相場が決まっている。実は結構楽しみにしていたのに、事務作業に挨拶回り、おまけに勉強会でかえって以前より忙しい。もう少し無職トウメイ生活を満喫したかった。ヒマよりいいだろうとは言うが、みんなヒマが嫌いなのか。ヒマがダメか。悪いのか。そんなに嫌かヒマが。

今日の訪問先は、市教委、道教委、精神保健福祉センター、池上学院、記者クラブ。こんなフラフラした若造に、どこでもとても丁寧に応対していただきまことに恐縮。しかし、慣れぬスーツに身を包み、札幌市内を西へ東へ100km以上走り回るのはちと大変だった。やはり人生はすりこぎなのだろうか。すりこぎは使えば使うほど磨り減るんだよ。俺をすりこぎにしちまったヤツ。そいつは誰だ。Hey you! Hey You,What's your name?


今日も流れる5月7日 
 投稿者:山田  02/05/07 Tue 21:34:35

 パンフレットの印刷を済ませて、事務所(といっても、普通のマンションの一室なのだが)で関係各機関へ挨拶の電話をすることにした。いつも印刷の作業をしている「北海道市民活動促進センター」から車で移動する途中、遅い昼飯をとろうと相馬氏の好きなカレー屋に行くと、時間が合わず準備中。仕方なく事務所そばのスーパーで弁当を買って食べることにする。相馬氏はスーパーで寿司を求めて漂流していた。

 一通り、挨拶の連絡をしたところで名刺を作ることにする(手作りなのです)。原版をパソコンで作ってコピーをしようと僕が出かけたところ、スーパーのコピー機もコンビニのコピー機も用紙持ち込みは禁止。近所を漂流したあげく、プリンターから印刷して作成することになり、事務所へ戻った。ネコのちょっかいを防ぎつつ完成させた。

 一つ何かをするごとに、漂流するわれら。明日からご挨拶に伺うフリースクール・関係機関の方々、たどり着けるよう祈って頂ければ幸い。


パーティーやらなあかん5月6日 
 投稿者:相馬  02/05/07 Tue 11:04:31

昨日、お話を伺った人は、札幌で引きこもりの人たちの支援活動を始めるそうだ。
その人が言った。

「だからね、設立パーティーを開けばいいじゃない」
「パーティーですか」
「それで誰か有名な人に基調講演してもらってさ」
「あてがあるかな」
「新聞にも写真入りで出してもらう」
「上手いやり方ですね」
「こういうのは最初を逃すとなかなかチャンスがない」

ダウンタウンのコントに「パーティー行かなあかんねん」というのがあったが、
まさか自分が「パーティーやらなあかんねん」事態になるとは思わなかった。
世の中どうなるかわからない。早くも漂い出した「漂流教室」。どこへ行くのか。


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