2003年2月

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広報クリニック2月28日 
 投稿者:山田  03/03/01 Sat 01:01:54

午後6時半より、市民活動促進センター主催「NPOのための広報クリニック」に出席、広報活動についてのレクチャーを受ける。

広報活動だから直接自分たちのやっていることに関係することはないだろうと思って話しを聞いていたら、講師の口から出てきた言葉が素敵だった。曰く「自分の子どもが見えた瞬間に、生き方が変わる」子どもに残す将来を考えれば、今の自分が何をするべきか見えてくるとのこと。この言葉から色々考えることができたので、そのうち出てくることもあるだろう。

とりあえず、また明日受講してきます。日曜日もその感想を。


スフィンクス2月27日 
 投稿者:相馬  03/02/27 Thu 23:55:44

今週初めには黒々とアスファルトの路面が見え、このまま春になるのかなーなどと思っていたのだが、昨日今日の大雪でまた元に戻ってしまった。甘かった。

ところで、「いつもそこにスフィンクスがいた」という合唱曲があるらしい。今日のラジオでかかっていた。スフィンクスといえばあれである。古代エジプトの怪物、人の頭とライオンの体をもち、前を通る旅人に「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足なんだ」なんて問題を出して、答えられなければ食ってしまうというやつである。

スフィンクスの何が恐ろしいといって、出す問題に必ず答がある、というところだと私は思う。正解があればこそ、人はそこに辿りつこうとして、思い悩む。そのスフィンクスがいつもそこにいる、というのである。きっと、毎日毎日、ことあるたび難問を出すのだろう。そのたびに、人は答を求めて右往左往するのだろう。ということで、これは情報化社会の、もしくはマニュアル人間の抱える問題の比喩であり、現代社会の批評なのであった。もちろん、この歌がそんなことをうたった歌なのかどうかは、ちっとも知らない。


おもしろい2月26日 
 投稿者:山田  03/02/26 Wed 23:32:36

次の通信に載せてもいいのだけど、あまりにおもしろいのでここにも書いておく。

以下、毎日新聞の記事。
>適応指導教室運営を民間委託 専門会議が中間報告
>(前略)また、都道府県や市町村が設けている「適応指導教室」の充実を提言。
>01年度には全国で991カ所の教室があるが、全自治体の27%しか設けられ
>ておらず、不登校の子の1割しか通っていないと指摘し、さらなる設置を求め
>た。不登校の子供の指導に実績のあるフリースクールなど民間施設に運営を委託
>する「公設民営型」の適応指導教室についても検討すべきだとしている。
01年度に報告された不登校児童・生徒数は約14万人。全国の適応指導教室が約1000カ所。一カ所あたり140人の不登校児童・生徒を抱えられるわきゃあないので、当然増やすということだ。

で、この新聞記事には載っていないのだが、朝にNHKニュースで聞いたところによると、指導員は10名に二人の割合を目指すそうな。五人学級ということですな。さあ、少人数学級を希望する人は、皆不登校になろう!


補遺2月25日 
 投稿者:相馬  03/02/25 Tue 22:44:22

フォローどうもありがとう。なぜあそこで急に教師と親が出てくるのか。まったく説明不足であった。憤りにまかせて書いてはいけない。それじゃ八つ当たりだものね。

かつて、授業で自衛隊を罵る教師に、自衛隊員の子供は家に帰って泣いたという。オウム真理教信者の子供が転入拒否をうけた話は紹介した。先陣切って反対したのは、受け入れ先の学校に子供を通わす親である。

教師には教師の、親には親の理由があるだろう。都知事や文科省の措置にも理由がある如く。だが、いじめる側にだって理由くらいあるのだ。そんな理由、一皮むけばイジメと同じじゃないか。私はそう疑っているのである。それに気づかぬのは正義のせいではないか。そう言っているのである。一昨日の日誌、最後の部分はこう改めよう。行政は市民は、教師は親は、好んで正義を推す。我らは一も二もなく正義が好きである。そして、イジメは常に正義を装って現れる。イジメのなくならぬワケである。

横湯園子氏の講演会でもらった資料が見つからない。あそこに書かれていたイジメの定義は実に当を得ていたのだが。


ぼく思うに2月24日 
 投稿者:山田  03/02/24 Mon 23:36:52

>イジメとは行政と市民の、もしくは教師と親の推奨する、折り紙つきの
>正義なのである。
この部分、「イジメは教師と親が推奨したりはしていない。暴論だ」と反論が来そうだね。もう少し説明した方がいいんじゃないかな。

これに関して、ぼくの考えを次の部分から始めてみよう。

>どちらも合理的な理由は一切ない。単なる尻馬である。普通、これらのことを
>差別、もしくはイジメと呼ぶ。
この部分は「合理的理由」があればイジメてもいいというように読めちゃうのだけど、非合理的に相手に何かを強要するということでイジメを定義するのは不十分だ。それでは「シカト」を説明できない。ぼくが考えるイジメは、
  一、人を周囲と関係を作ることが出来ないような状態に追い込み、
    そうされたと人が感じたときにイジメは成立している。
  二、それを訴え出ることはいけないことだ(チクリの禁止)と暗黙のルールを
    一人ひとりが内的に保持することで、構造を維持する。
の二段階が、互いを強め合いながら進行する。

つまり、ぼくは石原都知事も文部科学省もイジメの構造を作っているとは思わない。彼らのセリフを聞いたときに納得して、相手が何を言ってきても「北朝鮮のことだから」と聞く耳持とうという気を無くしつつある人々こそが、イジメの構造を作っていると思う。恐らく、今よりも10年ほど前に石原都知事が同じようなセリフを言ったとしたら、彼の方が世間から無視されるようなイジメられ感を味わったことだろう。彼は今ようやくイジメられる対象から自分が外れたことを謳歌しているだけだろう。

ここで最初にもどってみよう。「イジメは教師と親が推奨したりはしていない。暴論だ」という初めの反論は、「推奨していないから、イジメはしていない」という論理に基づく。しかし、ここまでのことを考えると、もうその論理は成り立たない。イジメは推奨していないから起こらないのではない。一人ひとりが他の人の言葉に耳を傾けるような場を作るように努力し、実行しなければイジメに荷担していることになるのだ。何もしていないのは未必の故意にあたる。とすれば、「イジメはダメ」と言うお題目だけ言って、イジメの削減目標を作る程度しかせず現場任せの文部行政とそれに賛成する市民、もしくは教師と親では、やはりイジメはなくならないのだ。


イジメの構造2月23日 
 投稿者:相馬  03/02/24 Mon 01:23:23

石原東京都知事が、朝鮮総連本部に課税すると息巻いていると、新聞の記事で読んだ。こんなもの、「お前んち金持ちなんだろう」と地上げ屋の子供をカツあげするのと変わらない。憤っていたらその翌日、朝鮮人学校卒業の生徒には国立大の入学資格を認めないと文部科学省が発表したと、また新聞の記事で読んだ。国民の間に反北朝鮮感情が高く、入学資格を認めれば、北朝鮮に利していると思われる、というのが理由らしい。

どちらも合理的な理由は一切ない。単なる尻馬である。普通、これらのことを差別、もしくはイジメと呼ぶ。イジメをなくそうと音頭をとっているはずの行政が率先してイジメの構造を作っているわけだが、私はもうひとつ思い出すことがある。

あちこちの町や村が、オウム真理教信者の子供の転校を拒否したことがある。市民の安全を守るためだと言う人は言う。しかし、それが石原都知事の、文科省の措置とどう違うのか。イジメとは行政と市民の、もしくは教師と親の推奨する、折り紙つきの正義なのである。イジメのなくならぬワケである。


なつかし2月22日 
 投稿者:山田  03/02/23 Sun 07:40:34

実家にもどって、いとこと遊んでいました。今、長野オリンピックのビデオが流れています。

今日は休みなので、のんびりします。午後からはホームページの勉強をして、更新できるようにします。では。


宿酔2月21日 
 投稿者:相馬  03/02/22 Sat 10:48:35

鳥肌実演説会の後、酒。4時過ぎまで飲んでたら、まだ頭が痛い。おかしいな。弱くなった気がする。幸い、今日は休みなのでまた寝る。おやすみなさい。


明日はどうなる2月20日 
 投稿者:山田  03/02/21 Fri 00:13:04

札幌の積雪量は、地域によって二倍程度の差があると新聞が報じていた。毎日車で走っているのに、気づかなんだ。

しかし、訪問帰りにわかった。むしろ、毎日走っているので雪山を途切れず眺め続けることになり、積雪の差に気づかないのだ。連続している変化は、断絶させ比較しなければわからない。

なかなかうまく行かない訪問先のことと相まって、なんだかしみじみとして、今度は何か違うことに気づくよう、自分を励ました帰り道だった。


速度制限2月19日 
 投稿者:相馬  03/02/20 Thu 01:45:15

長距離トラックの速度が制限されるらしい。新聞の斜め読みで見たので、はっきりしたことは覚えてないが、時速90kmまでしか出ないようにリミッターをつけるらしい。これからはトラックに近づかないようにしようと決めた。危険である。

速度が制限されても、荷物を届ける時間が遅くなるわけじゃない。今まで110kmで走っていた高速を90kmでしか走れなかったらどうするか。50kmで走っていた一般道を70kmで走るしかない。もしくは、仮眠や休憩をとらずに走るかだ。そんなトラック危なくて仕方ない。なんとも迷惑なことをしてくれるもんである。

あれこれ考えているうち、ふと、「ゆとり教育」のことを思い出した。学習内容を3割削ることになった。土曜日も休みになった。しかし、受験制度はそのままだから、「ゆとり」どころか塾で休む間もないという子供が出る。

「ゆとり教育」同様、トラックの速度制限にも反対の声は出ている。おおかたが「経済に影響が出る」という視点で、そういうところも似ている。


岡崎さんごめん2月18日 
 投稿者:山田  03/02/18 Tue 22:27:19

昼の訪問が中止になって、夕方まで体を休めることができた。日曜日以来、どうも調子がよろしくないので、外に出ず布団の中でうとうとしていた。

何とか良くなってきたようだ、と思ったらスタッフから電話。「今日、訪問先まで送ってもらえるのでしょうか」しまった。今日は相馬氏ではなく、ぼくが送るのだったことを忘れていた。まったく、気を緩めるとろくなことがない。申し訳ない。


雪の降る町2月17日 
 投稿者:相馬  03/02/18 Tue 01:10:25

月曜日の訪問先は不思議である。

いや、違う。特にその家が不思議なわけではない。むしろ私が不思議なのかもしれない。どういうことかというと、訪問直前になると吹雪出し、訪問中は晴れ、帰る頃にまた吹雪くということが毎回起こるのだ。本当に毎回だ。ちょっとイヤだ。

勘違いしないで欲しい。吹雪がイヤなのではない(嬉しくはないが)。行く先行く先で雨に降られる男を「雨男」という。では、雪に降られる男は何か。「雪男」だ。未確認生物だ。UMAだ。毛むくじゃらだ。

これが女性なら「雪女」でいい感じなのだ。男女差別だ。そういや、ムーミンにモランという雪男がいた。いいヤツだった。


疲労2月16日 
 投稿者:山田  03/02/16 Sun 20:45:21

相馬氏の書くように、サインインできずにしょうがなく寝た。

朝起きてみると、何だか身体がだるくふらふらするので、また寝た。午後二時からトポス主催の講演会があるなぁと思いつつ、前後不覚になった。

起きてみると全身汗だく。辛い。時間を見るともう一時半過ぎだ。喉も軽く痛む。こりゃ、風邪の引き始めだなということで休む。

夕方近くになり調子がよくなって来たので、いい気になってスーパーに出かけたらどっと疲れた。明日は回復してますように。


サインイン不可能2月15日 
 投稿者:相馬  03/02/16 Sun 02:25:16

顔も洗わず寝て過した一日。夜、山田から電話が入る。「漂流教室」のサイトにサインインできないという。さきほど私も試してみたが、やっぱりできなかった。パスワードを確認しようにも、サーバーの使用を申し込んだときに使っていたメールアドレスがもうない。困った。

まあ、とりあえず日誌はアップできるし、と思っていたら、こちらもサインインできない。え? なぜ? と焦ったがなんのことはない。ユーザー名を間違えていたのだった。びっくりした。それくらいしか事件のない、いたって平和な日でした。


感謝感謝2月14日 
 投稿者:山田  03/02/14 Fri 23:10:30

訪問の出がけに北海道共同募金会から電話があった。不登校の子どもに対する活動へ募金の一部を義捐金として支給しているので漂流教室にも、との申し出だった。ありがたく受け取ることにします。

訪問へ行く途中、車の中で募金をしてくれた名も知らぬ人たちに思いを馳せた。本当にありがとうございます。ますますがんばろうと思いますと涙ぐみつつ急いだ。今日はバレンタインデーで愛の告白をする日ということだが、こういう形で愛を受け取るとは思いもしなかったなぁ。


言及不可能なのに2月13日 
 投稿者:相馬  03/02/13 Thu 23:22:33

続き。人間とそっくりなロボットが子供と摩り替わって、それが誰にも絶対気づかれないなら、そのロボットには「心」があると言ってしまってもいいのではないか。すっ転んで大笑いしている人間と、膝を抱えてうめいているロボットがいたとしたら(もちろんロボットとは気づかれない)、痛みを感じていると“判断される”のはロボットのほうであろう。つまり、「心」の有る無しとは、自分たちと同じ行動をしているか否かが判断基準になるのである。例え、中ががらんどうの人形だろうと、自分たちと同じように行動するなら「心」があることになるのである。

だから、子供がロボットに代わったところで、誰も不都合を感じはしないのだ。心が、意識があると信じて疑うことはないのだ。いま「誰も」と言ったが、実際にはひとりだけ不都合な人間がいる。摩り替えられた子供自身である。自分は納得いかないが、自分以外は問題を感じていない。ここから問題は自分と他人に発展する。

でも、もう大変だから書かない。もっと考えて、うまく説明できそうなら、そのうち書きます。そうそう、絶対に気づかれないロボットなら、それを論ずるのは実は意味がない。だって、それがロボットか人間か、それとも宇宙人か、なんであろうと人間と区別がつかないなら、それは「人間」でしかないからだ。それを積極的に疑う根拠がどこにもないのだから。だから、私はここまで、絶対に気づき得ない、つまり考えることができない仮定を考えてきたことになる。それも面白い。


河童2月12日 
 投稿者:山田  03/02/12 Wed 22:23:45

河童になった夢を見た。

ぼくと誰かは分からぬ男が全身タイツ姿で車通りの激しい道路を渡ろうとしている。彼は緑、ぼくは黄色の全身タイツだ。

彼「河童ですから、横断歩道は渡りません」
ぼく「河童ですから」
と会話しながら、車の間をひょいひょいとすり抜けてゆく。

道路の向こうは川があり、橋がかかっている。
彼「河童ですから、橋は渡りません」
ぼく「河童ですから」
と言いつつ今度は水の中に入るのだが、さすがにちと怖い。ぼくはそんなに泳げないし、第一、今は冬だ。大丈夫かな…、と思いながら水に潜り思い切って鼻から息をするように水を吸い込んでみた。肺一杯に冷たい感触が広がるが、苦しくはない。ああ、やはりぼくは河童なんだな、としみじみ実感している。目の前にはもう対岸が見えてきた。


思考蛇行2月11日 
 投稿者:相馬  03/02/11 Tue 22:51:21

『ガラスの仮面』の後は『赤ちゃんと僕』にはまる。「花とゆめ」シリーズ。ところで、この間、高校生の頃に友人など数人で回していたノートを読み返してみた。その中に記されていた、私の文章の一節。

「人の理解」っていうのは「九九の丸暗記」みたいなものだと思う。

わからん。「人の理解」の前に十数年前の自分が理解できない。でも、これちょっと面白い。

例えば、転んで膝を打って泣いている子供がいたとする。それは「痛い」から「泣いている」のではなく、「泣いている」から「痛い」のではないか。泣いたり、うずくまったり、うめいたり、そういうことが「痛み」の本質なのではないか。

例えば、外見は人間とまったく区別がつかないロボットがいたとする。そのロボットには人間の行動パターンが全てプログラミングされているから、日常生活でも絶対に気づかれることはない。さて、そのロボットが転んで膝を打った。ロボットはうずくまり泣いている。では、このロボットは「痛み」を感じているか。

この問題はこういう展開もできる。上述のロボットをある家の子供と取り替えた。もちろん、家族その他、誰も絶対に気づかない。そのロボットが学校に行かないと言い出した。そうプログラムされていのである。あちこちに相談して、「漂流教室」の私のところに問い合わせが来た。訪問が決まったとして、ロボットだとが知らないし気づかない私は、もちろんメンタルフレンドの活動をする。メンタルフレンド、すなわち心に働きかける仕事である。ロボットは人間と同じに行動するようプログラムされているから、こっちにはなんらかの変化が見える。そして、ついに学校に行った。では、この場合ロボットに「心」はあるのだろうか。

この話には少々おかしなところがある、つまり、絶対に「人間と区別できないロボット」というものが前提の場合、どうして私が「そんなものがある」ということに言及できるのか、という点だ。まあ、それはおいといて(本当はダメなんだけど)、これは「心」とは何か、ということを考える試みでもあるのだ。答はまだ出ていない。


未来予想図2月10日 
 投稿者:山田  03/02/11 Tue 00:58:31

相馬氏曰く、「父性とは、家庭と社会との掛け橋のことである」。一般的に言うと父性は成長において一つの方向へ向かわせる力だが、教育においては「家庭と社会の間を渡り歩けるようにする」ということになるとぼくは思う。ところが、これを「家庭から社会に出ていくようにすること」と勘違いしている人がたくさんいる。そして、社会に出ていくことは学校をクリアしていくことで達成されると思っている人もたくさんいる。たくさんいるから、学校をクリアすることやその中での成績に価値が生まれ、クリアした人を「人材」として扱う社会ができる。こうなると「父性の復活で不登校をなくし、社会に有用な人材を育成できる家庭を」という意見が世間に説得力を持つ。

しかし、近い将来一億総中流の化けの皮がどんどん剥がれ、家庭状況が子の職業決定に大きな枷となっていることがはっきりするだろう。そうなると、社会は、実際の所、進学という点で機会の平等を与えていないと皆が認識し、社会に有用な人材として人が育つことに価値があるという考えが崩壊する。その時、人は人材として育つこと以外、例えばまるで世襲的になっている職業をこなすことに価値を見いだし始めるはずだ。

という所まで、未来予測をして今日はおしまい。また。


父性が必要2月9日 
 投稿者:相馬  03/02/09 Sun 23:55:27

「全国親の会のつどい実行委員会」出席。午前中は、文部科学省の行う不登校対策についての勉強会。あちこちの都道府県で、不登校の“数字削減”を目指した取り組みが行われている。本当に数字を減らすだけの取り組みが。

不登校の数が減らないのは、家庭が甘やかしているからではないか、と文科省が考えているのは知っていた。そのためには父性が必要である、強さ厳しさが肝要だ、そう言っていることも承知していた。その理屈は明らかに嘘だ、ということを前提にして、それでも不登校の対応には父性と強さが必要なのではないかと私は思う。

母性と母親とが関係ないように、父性と父親は関係ない。父性とは、家庭と社会との掛け橋のことである。「客観」と置き換えてもいい。学校に行ってない? 馬鹿だな、そんなの大したことじゃないよ。気にするな」。社会に出ている人間の視点からそう言ってもらえることが、どれだけ心強いだろうか。それが父性の役割だと思うし、そう言えるのが強さであると思う。そう言えないとしたら、社会に出ている大人が「レール外れちゃったらもう生きていけない」と思っているからだろう。

もう結構レールを外れてしまった私が言おう。大丈夫、なんとかなる。希望通りではないかもしれないが、なんとかなる。なんとかなった先は本人の問題だ。好きにやれ。大丈夫、そこで失敗したってやっぱりなんとかなるものだ。


キリ番8888だよ2月8日 
 投稿者:山田  03/02/08 Sat 23:51:16

昨日今日と暖かく外に出ると春の匂いがする。訪問先へ送る途中に菊池さんにその話しをすると、不可解な笑いをされた。道民以外には嗅げない匂いなのかと思った。

本州にいた頃は、梅や桜の花が咲くことで春を実感していた。視覚で春を感じていたわけだ。北海道では嗅覚で春を感じている。おそらく子どもの頃から身体がそうなっているのだと思う。

今日明日は雪祭りでたくさんの観光客が来ているはずだ。その人たちに「春が来ていますよ」と言って信じてもらえるだろうか。

何だか一句ひねり出せそうだが、これから寝床で楽しもう。


役立たず2月7日 
 投稿者:相馬  03/02/08 Sat 00:06:32

昨日今日とラジオで「大地讃頌」がかかっていた。懐かしい。中学の合唱コンクールで課題曲だった歌だ。一緒に歌ってみる。覚えてるような覚えてないような曖昧な感じだ。

私は結構合唱が好きだったが、当然嫌いだった同級生もいて、「やる意味がない」「こんなことなんの役に立つんだ」とブウブウ言っていた。そのときの顔を思い出すと、これが「学校の勉強なんて意味がない」「役に立たない」と言ってる子供たちの顔に実に似ている。いや、子供だけじゃない、大人もそうだな。「学校の勉強なんて意味がない」と言ってる子供と大人の顔に実に似ている。

私はこの「意味がない」「役に立たない」という文句がもう相当に嫌いだ。そう言わざるを得ない事情もわかるが、それにしたってケチなこと言ってんな、と思う。しかも、子供の「役に立たない」はどうにも大人の口真似っぽい。いかにこの言葉があふれているかということだろう。物事には何か明確な意味と目的があるべきで、その達成に役立つことを優先してするべきである。そんな窮屈な考えを持った人ばかりだ、ということだ。まったくケチくさい。

面白いのは、いわゆる「自分らしさ」を求める人たちも、実によくこの「意味がない」発言をすることだ。よっぽど追い立てられているのだろう。実用重視。効率第一。そうやってバタバタ走り回っていれば、そりゃ「癒し」も欲しくなるでしょう。

本日の勉強会、見学の方が3人みえられた。しかし、私は上記のようなことを考えてひとり憤慨していたので、ちっともおもてなしをしなかった。それどころか、わけのわからん話を振って混乱させてしまった。明確な目的がある場合は、他のことをしててはいけない。それは目的を果たした後のこと。役立たずの私でした。反省。


シルクロード2月6日 
 投稿者:山田  03/02/06 Thu 23:37:33

今週からNHKで昔やっていた「シルクロード」が放送されています。昨日・今日と見続けています。今日は、中学校の教科書にも載っていた幻の湖ロプノールの話し。教科書に載っていた文字と映像ではやはり説得力が違いますね。石坂浩二のナレーションもいい。NHKはプロジェクトXの田口トモロヲとか大河ドラマの「今宵はこれまでにいたしとうございます」とかナレーションの上手な人を見つけるのが得意ですね。

さて、これから楼蘭の遺跡内部に踏み込んできます。ではでは。


心奪われ2月5日 
 投稿者:相馬  03/02/06 Thu 00:40:40

さて、何を書こうかなーと考えながら、うっかり『ガラスの仮面』に手を伸ばしたのが間違いだった。万事そっちのけで全巻読破。さっき、ようやく読み終わった。実に面白い。やれやれ、と思ってテレビをつければ、これからパウエル国務長官が国連安保理でイラクがいわゆる「大量破壊兵器」を隠している証拠を発表するという。それは見なくては。誘惑多く、結局日誌の内容を決めていない。困ったもんだ。


キリ番2月4日 
 投稿者:山田  03/02/04 Tue 23:16:49

訪問先からお散歩。彼方に見える謎の建物に向けて歩くこと10分。到着してみると「札幌市市民情報センター」でした(下のリンク参照)。

ここでは登録するだけで無料でパソコンを貸し出してくれ、インターネットに接続もできるというので早速登録していると、突然写真をとられました。「え?!」と思って顔を上げると、「実はあなたで開館以来2000人目の登録者なので、記念に」と言われました。

子どもとインターネットのサイト巡りをして楽しみ、帰り際パソコンを返すと、「Congratulation! 2000」とメッセージと先ほどの写真が入ったカードをもらいました。ありがとうございます。

さあ、来週はさらに向こうにある謎の建物に向けてお散歩だ!

http://media.city.sapporo.jp/


キネマの世界2月3日 
 投稿者:相馬  03/02/03 Mon 21:26:09

訪問が1件繰り延べになったので、空いた時間で映画を観ようかと考えた。気になっている映画がある。「暗い日曜日」。ドイツ・ハンガリーの共同制作で、とにかく暗い映画らしい。一体どれほど暗いのか。一時期、暗い映画ばかり観ていた頃があったが、そのときの映画と比べてどうなのか。アレコレ暗い場面を思い出してるうちに、なんだか気持ちが暗くなってきて止めてしまった。今日までだったんだけどね。ビデオ借りて観ます。

と、ビデオに頼った映画ほど観ない。逆に、映画館まで観に行ったものは、その後も何度もビデオを借りて観ている。どうもなー。映画を観るには体力がなくて。歳かなー。というのが言い訳なのは、ひとつ上に毎週1本、年に50本以上も映画を観ている友人がいることでもわかる。しかも映画館で。

しかし、映画は観ておいたほうがいい。なんとかやりくりして、今年は映画をたくさん観よう。せめてビデオででも。


日記風2月2日 
 投稿者:山田  03/02/02 Sun 23:36:28

昨晩のスペースシャトル空中爆発のニュースを朝まで見聞きしていたので、明るくなってから仮眠。途中、実家から電話が入り受け答えするが、どうも要領を得ない応答をしていた気がする。

市民活動全道フォーラムに展示していたパネルを撤収するため、三時過ぎにかでる2.7に到着。置いておいた通信やパンフレットは半数がはけていた。反応が楽しみ。一つのテーブルにしかおかなかったので、今度は複数のテーブルに分けて置こう。撤収後、相馬氏と少し話しをしてから、いとことラーメンをすすり帰宅。

ではまた。


朋有り2月1日 
 投稿者:相馬  03/02/01 Sat 23:22:41

旧友来札。午後2時より飲む。念願の蕎麦屋で一杯を果たすも、現在吐きそう。それにしても、有朋自遠方来、不亦楽也。


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