2003年3月 |
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年度末3月31日 |
「2月は逃げる」などというが、3月の逃げ足も相当速い。アレヨアレヨと言ってるうちに過ぎてしまった。明日から4月である。ちょっと尋常じゃない速度だ。ひょっとしたら、時間の進む速度が速くなっているのかもしれない。その先は、時間が滝になってドウドウと流れ落ちているのかもしれない。
用あって区役所に行くと、受付は長蛇の列。整理券を発行する機械の「ただいまお待ちになっている人数」が100人のまま動かない。ぐったりしてロビーで寝ている人もいる。私は別の階に用事で、そっちはすぐ済んだから、列に加わることはなかった。待ちくたびれることもなく、年度末の空気だけを味わえて、なにやら得した気分になった。
さらば車3月30日 |
訪問に使っている車は、平成4年製造の車だった。これまで色々不調な部分を修理しながら使っていたのだが、この間また壊れた。給油した時に、車の給油口の蓋がしまらなくなったのだ。
実はこの車、今日、廃車になる予定だったので、給油口を修理することはしなかったのだ。長い間使い込んだ物には魂が宿るという。ひょっとすると、それに勘づいて気がゆるんだのでは無かろうか。
新しい車にも魂がこもるくらい乗ってやろうと思った。
変な日3月29日 |
俺も小学生の頃、消しゴム食べてて「帰りの会」で糾弾されたことがある。
一転して雪の今日。理由はわからないが、運転の感覚がなんとなくずれている感じで、普段なら見合わせるタイミングで交差点に進入したり、バックするのにも追突すれすれまで下がったり、なんだか変な具合だった。こういう日は、他のことをやっても何か薄い膜がかかったようで、どうにも上手くいかない。諦めて、早めに寝てしまうに限る。おやすみなさい。
思いだした3月28日 |
札幌から転勤になる友人と久しぶりに焼き肉を食べていて思いだしたことがある。
昔、いろんなゲテもの喰いをしていたなあ。
よく鉛筆の後ろをかじる子はいるけれど、自分の場合は明らかに食べていた時期がある。学校にはお菓子持って来ちゃいけない、ということになっているけれど、僕の場合は筆箱の中がおやつなのだから楽しいことこの上ない。相馬氏が良く話す「学校での勉強以外の楽しみ」の一つ。
他にも人が聞くと「えっ」と驚くようなものも食べていたけれど、それについてはここでは語らないでおこう。
読まねばならぬ3月27日 |
喉が痛い。山田の風邪がうつったか。
不登校に関する中間報告と、国立教育研究会から以前に答えたアンケートの結果報告書を暇さえあれば読んでいる。しかし、ちっとも頭に入らない。字の大きさその他、レイアウトが根本的に悪い。読まれることを前提にしてない、とすぐわかる。というか、読んで欲しくないのかも。保険の契約書みたいに。
でも、読まなきゃな。我慢して。
新川の川岸にネコヤナギが咲いているのを見ました。
10000ヒットしていたな3月26日 |
そういえば、10000ヒットしていますね。一年足らずでここまで行くとは思っていませんでした。キリ番取った人、ぜひ連絡を。
今日作った「漂流通信」は丁度40号でした。これもキリ番。これは50号いったら、付録をつける予定です。
通信作成後、氏家先生主催の勉強会へ。久しぶりの出席でした。
相変わらず咳が止まりません。えほえほえほえほ、と吐きそうになりながら咳をしていると体力を使いますね。では。
そう、春3月25日 |
勢いで喋って誤解を受けると困るから、道教委との懇談会ではずっと黙ってました。
というのは冗談だけど、殆ど話せなかったのは事実。各スクールの自己紹介も含めて1時間半の時間は少なすぎる。要望への返答も、今まで通りでさしたる進展はなし。とはいえ、こういう場を設けてくれる道教委はまだ良い方だ。全然、相手にもしてくれない自治体もあるからね。(その逆で、非常に協力的な自治体もあると、懇談会後のフリースクール等ネットワーク総会で聞いた)
その後は3件訪問で、今日は大車輪の働き。そのうちの1件は、高校進学に伴う終了で、今日が最終日。春の別れだ。今朝、外に出ると、虫の羽音が耳朶を打った。道を走れば、自転車に乗った子供がわらわら列を成している。気温は今日も高い。いろいろに春。
春です3月24日 |
>繰り返しになるけど、それは「人材」教育が悪いのではなく、正しい「人材」教
>育がなされなかっただけなのかもしれないんだから。
繰り返されなくても分かってるし、「人材」と「人間」は対立するものではないという前提で話しをしています。
ぼくは君の話しが分かっているつもりだし、その内容には賛成だし、そういう君の文章が好きだ。ただ、
>言葉遊びを真実と思ってる人には、同じくらいハッタリ効かせなきゃ届かないでしょ。
ハッタリ効かせようとして語るから、誤解されちゃうことないか?こないだの会議の後に、「最初に結論をバーンと言っちゃうから、誤解されちゃうのかなぁ」と話していたのと同じようなことになると思うけど。
本日は気温が二桁になり、いよいよ春めいて来ました。明日は教育委員会の人と懇談会。その後、フリースクールネットワークの総会。忙しい日になりそうです。では。
大人の条件3月23日 |
そりゃそういうケースもある。でもそれは「人材として優秀だった“から”、もしくは人材教育の“せい”で、人間としてダメ」な訳ではないでしょう。繰り返しになるけど、それは「人材」教育が悪いのではなく、正しい「人材」教育がなされなかっただけなのかもしれないんだから。
でも、「人材」教育ではなく「人間」教育を、というのは、人材教育のせいで人間としてダメ、と言ってるんだからおかしいでしょう。勿論、これはキャッチコピーで、言葉遊びだから、そうやって使う分には強烈でいい。でも、言葉遊びなはずが、真実だと勘違いされてることってありませんか。そういう人に会ったことないですか。それが気に入らん、って言ってるの。だから「あえて言う」んでしょう。「勢いで書いちゃったのかな」って、そりゃ「勢い」だよ。言葉遊びを真実と思ってる人には、同じくらいハッタリ効かせなきゃ届かないでしょ。
それはそうと、昨日、大通駅地下を歩いていると、男性の「何やってるんだ!」という怒声に続き、「何すんだよ!」という若い女性の声が聞こえた。何事かと声のしたほうへ行ってみると、恐らく補導員でしょう。初老といってもいいくらいの男性2人が、徒歩暴走族とでもいうのかな、特攻服着た女の子を引っ張っていくところでした。タバコでも吸ってたんでしょう。
他の野次馬はなんやかやと感想を口にしていたが、私は「大人ってのはああやって怒鳴れなきゃダメだなあ」と全く別のことを考えていた。それくらい、「何やってるんだ!」の怒鳴り声は、いかにも怒声という表現がふさわしい、低くて腹に響く大きな声だった。
「何すんだよ!」は女の子ということもあるけど、キンキンした声で、一発で大人vs子供ということがわかる。多分、18歳くらいの男の子を捕まえても、キンキン声を出すでしょう。「何してんだ!」はやっぱり大人の出す声なのでした。あれ、出せないなー。それじゃ大人とはいえないな。それはイカン、と思った私は、帰宅後早速怒鳴る練習に励んだのだった。
大人は一喝できなくてはならない。するかしないかは関係ない。しなくてもかまわない。ただ、あの声は出せなくちゃならない。私の中にはいろいろ「大人であるための条件」があるのだけど、昨日、またひとつ条件が加わった。
久しぶりのヒマな日曜なので、早くアップしてみた。
そうなんかなぁ?3月22日 |
>。「人材」に育ってくれて全くかまわない。それで人間的に劣ることはあり得ない。
えぇ?そうかい?
優秀/不出来という基準だけで語るのもいかがなものかと思うけど、単純に言って、
1、「人間」として優秀。「人材」として優秀
2、「人間」として優秀。「人材」として不出来
3、「人間」として不出来。「人材」として優秀
4、「人間」として不出来。「人材」として不出来
という四つのパターンを君の話から考えつく。だから、3があり得るんじゃないの?「あり得ない」というのは、「人間」と「人材」の間に何かの関係があると思っているから出る言葉なんじゃないのかなぁ。まあ、勢いで書いちゃったのかなとも思うけど。
本日は、朝からいとこの結婚式に出席して帰宅後訪問。総走行距離350キロ以上なり。寝ます。
「人材」で良い3月21日 |
今の教育は「人間」を育てる教育ではなく、「人材」を育てる教育である。この言葉を始めて聞いたときは「成る程」と感心した。うまいこと言うな、と思ったが、あんまりあちこちで聞きすぎて、最近少々飽きてきた。
先日も、ある大学教授の本でこの言葉を見たが、彼だって、自分の研究室に優れた新入生が入ってくれば「これは逸材だ」と思うだろう。人柄は良いが出来は悪い学生よりも、少々人格に難があったって出来の良い学生のほうが欲しいに違いない。少なくとも私は、「漂流教室」のスタッフには「人材」を希望する。それに「人材」を求めても、結局、人間的に優れた人が来るだろうという思いもある。そもそも「人間」と「人材」は対立しない。
成る程、確かにこれまでの教育は、ある決まった種類の「人材」を効率良く作り出すものだったかもしれない。そのひずみが様々な問題を生んでいるかもしれない。だが、だから「人材」教育ではなく「人間」教育を、というのは、対立しない言葉を対立させた、いわば言葉遊びである。言葉遊びで悪ければキャッチコピーだ。優れたキャッチコピーだが、悪いことに、キャッチコピーは優れていればいるほど事実から遠ざかる。けなしているのではない。それがキャッチコピーの本質なのだから仕方ない。
別に言葉遊びだから意味がないとか、事実とは違うからイカン、などと言っているのではない。言葉遊びは言葉遊びとして使わないと、あんまり繰り返しているうちに真実のような気がしてくるものである。同じことを、以前「共育」について言った。「人材」「人間」もそろそろ勘違いの域に入ってきた。その風潮が気に入らないので、あえて言う。「人材」に育ってくれて全くかまわない。それで人間的に劣ることはあり得ない。劣ると言う人があれば、それは嫉妬で言っているのである。後輩諸氏、優れた「人材」になってくれたまえ。手許の辞書にはこうある。
【人材】才能があり、役に立つ人。有能な人物。人才。
「人材」教育が悪いのではなく、正しい「人材」教育がなされなかっただけなのかもしれないのだから。それに、やっぱり「人材派遣」じゃないと、「人間派遣」では変だもの。
便乗3月20日 |
訪問の後ビデオを返却して帰宅したぼくは、部屋の中から聞こえてきたある音に気づき愕然とした。ぼくが聞いた音とは?
1.米軍による山田邸空爆の音
2.「遅かったな」と人語で語りかけるネコの声
3.「亡命せいゆーから日本に来たんじゃ。文句あるか」と叫ぶフセイン
答えは流れっぱなしのトイレの水音です。水を流すレバーが何かの拍子に戻らなくなり、いつから流れて続けていたのやら、周りの壁にも水は飛び散っており、水道代は恐ろしいことになりそうです。
最近、咳は止まらないし、朝起きると必ず鼻血を出しているし。何だか踏んだり蹴ったりだなぁ。
バッテリー切れ3月19日 |
訪問を終えて外に出た私は、あるものを見て顔面蒼白になり思わず叫び声をあげた。一体、何を見たのか。
1.イラク攻撃のため千歳空港から飛び立つ戦闘機を見た
2.北朝鮮工作員の拉致現場を見た
3.タマちゃんが猫を貪り食っているところを見た
正解は、車のライトが点けっ放しだったのを見た、です。ああ! またバッテリーがあがる! 車まで猛ダッシュ。幸いバッテリーは無事だったが、驚いたのと走ったのとで、こっちがバッテリー切れ寸前である。こんなことになったのも、突然の大雪のせいである。視界の悪さに、昼日中からライトを点けたのがあだになった。
最近、「人材」を育てる教育ではなく「人間」を育てる教育を、なんて言葉をよく聞く。それはちょっと気に入らないなー、という話をするつもりだったが、バッテリー切れが心配なので、今日は休んで次回にまわす。
3月13日の朝日新聞夕刊に載った記事が、こちら(↓)でご覧になれます。
時限爆弾3月18日 |
とうとう時限爆弾が起動し始めました。今日の10時にスイッチが入り、残り約34時間です。以下、個人的な予想。
・戦いは長引いて一ヶ月。五月に入ることは無い。
・アメリカは初手から猛攻撃を始めるが、フセインは生き残る。
・戦後処理はアメリカの望む形にはならない。アメリカは再度武力に訴えるが、激しい非難を浴び孤立していく。
訪問先でも戦争のことが話題になる。子どもの心は敏感で、怖い思いをしている子は一人や二人ではない。彼らにとっては実に身近な問題なのだ。こんな予想をしている自分の鈍感さよ。
期待薄3月17日 |
『ドラゴンボール』がハリウッドで実写化される、という話を聞いたよ。やっぱりあれかな。日本公開の時には、野沢雅子らが吹き替えするのかな。「おっす、オラ悟空!」。姿はごっつい白人。
中東の空は、きな臭いのを遥かに超え、血のにおい漂う気配。ガソリンの値段がまた上がった。日本政府はイラクの復興支援を約束しているが、一度壊してから支援するなんてあまりに無駄だ。そもそも、攻撃に手を貸すと明言している国の施しを、一体誰が受けたいか。
「日本がどうするかはその場の雰囲気で決める」。小泉総理にどれほど雰囲気を読む能力があるか。ハンセン氏病のときのような決断を期待したいのだけど。
元気玉3月16日 |
この日誌の一番最初の日付に出てくる、「パーティーを開いたら」と話してくれた人と十ヶ月ぶりに会った。この人は、漂流教室が対象にしているよりも上の年齢で、ひきこもっている人について支援を計画している人だ。
この春から活動を始めるということで、漂流教室と補完しあえる部分は提携してやっていこうという話しをした。このようにして、人の輪は大きくなっていく。それぞれが少しずつ力を出すことで、大きなことに結びつくのだなぁとしみじみ感じる。
実は、こういう話しは今の子どもたちにとって、とても身近なんじゃないかと思っている。その理由が今日の日誌の題名「元気玉」。漫画「ドラゴンボール」に出てくる主人公の技の一つで、一人一人が少しずつ気を出し合い、巨大な気の玉を作り敵に投げつけるのだ。最終回では地球人みんなの気を集めることになっている。興味のある人は、最近復刻版が集英社から出ているのでぜひ読んでみることをオススメする。
さっき帰札3月15日 |
友人の結婚式で旭川へ。大事な友人である。無二の友、と言いたいが、残念なことに、向こうもそう思ってるかどうか自信がない。しかし、そう呼びたい友である。大事な友だが、向こうの仕事が忙しく、長いこと会っていない。しかも、4月から埼玉に行くという。それでつい去りがたく、本当は昨日のうちに帰ってくるはずが、ぐずぐずと今日までいてしまった。事情を知らぬ新婦には迷惑だったかもしれないが、今後、彼と過す時間は彼女のほうがはるかに長い。それに免じて許してもらいたいと思っている。
今日はこれから人に会う約束がある。「漂流教室」立ち上げの際にいろいろ知恵を貸してくれた人だ。恐らく、そのことについては山田が書くだろう。
アトランダムに3月14日 |
本日、帰宅してご飯を食べた後に咳がひどくなりました。季節はずれの風邪かしらん。
明日は、問い合わせの会ったお家に訪問してから、FSネットの総会。その後訪問となかなか忙しい予定。
そうそう、帰宅途中に車が事故る瞬間を見かけました。運転に気を付けなくては。では。
子供の性3月13日 |
私は「理想像」は比較的どうでもよくて、それより自他の区別のないことがイヤだ。
それはそれとして、本当に腹が立っているので、以下の文章はちょっとまとまってない。すみません。
いわゆる出会い系サイトの規制法案が発表された。児童売春を持ちかけるような書き込みは禁止。違反した場合は100万円以下の罰金となる。それはかまわない。問題は、子供の側から誘った場合もやっぱり処罰の対象されることで、実はこっちが本命だったんじゃないかと、私は疑っている。誘って、相手が現れなければ、それ以上発展することはありえない。規制は大人だけで充分なはずで、それが子供に及ぶのは、こっちが本命な証拠である。
最近の子供は性倫理が欠如しているため、罰則を設けて、正しい規範意識を身に付けるよう指導する。子供への罰則は確か、そういう名目であったと思う。これと、不登校研究協力者会議が不登校について述べた言葉のなんと似ていることか。
一般に、ある集団に性的な倫理観が強く求められた場合、それは別の集団の性的充足を促進するためである。例えば、女性の性を禁じたほうが、男性は性的に満たされる。選択権を持つのは男性のみだからである。
出会い系サイトから子供を遠ざけたいなら、現在無料にしている女性からの伝言を、男性並に高額にすればよい。もちろん、業者は立ち行かなくなるだろうが、子供は遠ざかるだろう。そんな簡単なことをしないのは、大人が性欲を満たす場所をなくしたくないからである。
だったら、子供を罰するな。それだけのことだ。
「漂流教室」のことが、今日の朝日新聞夕刊に載ったそうです。まだ見てないんだけど、どんな具合なんだろう。
一件終了3月12日 |
おとつい、昨日と続いた話しを見ていたら、とにもかくにも自分は「理想像」を求める動きに反対しようとしているのだなと感じた。しかし、「理想像」を求めることに反対することも、自分の中の一つの理想であるともいえるわけで、わしゃようわからん。
まあ、そんな抽象的なことはまた機会があれば考えることにしよう。今日、去年の夏ころから訪問していたところがひとまず終了した。今までの訪問から分かること、自分の変化したことを思い返してみることにしよう。
呼称の屈辱3月11日 |
普通、子供は自分のことを「子供」とは呼ばない。若者も自分のことを「若者」と呼んだりはしない。「子供」とか「若者」というのは大人がそう呼ぶので、彼らが自分のことを呼ぶ場合は大抵「ぼく」とか「私」と言う。それが複数なら「ぼくたち」「私たち」と言う。
だから、若者が自分のことを「若者」と呼ぶ場があったとしたら、そこはちょっと変な場なのである。ところが、これが意外とよくある。子供と大人が一緒に活動しているようなところに多い。そういうところに限って、「子供と大人は平等の立場である」なんて謳っていたりする。
子供が「子供」と、若者が「若者」と自分を呼ばなくてはならないところが、一体誰の都合で運営されているか、言わずもがなであろう。別に誰の都合で動いていてもいいのだが、こういう場合、どういうわけか、当事者だけはそのことに気づいていないのが常である。それで平気で「平等な立場」と言って澄ましている。
若者が自分のことを「若者」と呼ばざるを得ない、というのは随分な屈辱だと私は思う。そういう屈辱を強いておいて、まるで気がつかない、という愚だけは犯すまいと自戒の念を新たにするのであった。
心してかかりたい3月10日 |
「明るい不登校」「意味のあるひきこもり」という言葉が使われるのに注意したいと思っている。
まず、当事者以外がこの言葉を使う時。当事者以外には、「不登校」も「ひきこもり」も外部の出来事でしかない。「明るい」「意味がある」は当事者にしか分からない。大抵、当事者以外がこの言葉を使う時は、「理想の不登校・ひきこもり像」をその人が持っていて、当事者の苦しみから離れていることが多い。
繰り返すが、「明るい」「意味がある」は当事者にしかわからない。「『不登校/ひきこもりは明るい/意味があるものです』ということに気付きました」と語ることができる時/人があるかもしれない。しかし、それは当人達が気付いて語るものであり、答えのように押しつけるべきものではないだろう。
また、「明るくない不登校」「意味のないひきこもり」は認めないようにも聞こえる。
次に、当事者がこの言葉を使う時。この言葉で本人が楽になるのは、一向に構わない。歓迎する。しかし、それは当人に限る話しだ。同じ境遇の他の人もそうとは限らないし、周囲の人がそれで楽になるかは別問題だ。
とにかく、げに恐ろしきは「経験者は語る」ということ。それは一例なのだと自覚して、個別の事例に当たらなければ。
ミチロウ3月9日 |
その実行委員会、どうも出るたび不満が残る。時間をやりくりして、ちゃんと事務局会議から参加して意見を言わないと、このままじゃパンクしちゃう。
まあ、今日はその後、元スターリン、ジャパニーズパンクロックのカリスマ、遠藤ミチロウのライブだったから不満もすっかりどっかに行っちゃったけどね。サインも貰っちゃったし。ふふ。いやいや、良かったよライブ。
お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました・・・
ぬるいのは嫌いだーー!!!
謎3月8日 |
「登校拒否・不登校全国の集い」実行委員会が明日あるのだが、その前に全国の事務局から人がやってきてうち合わせ。その後、相馬とお茶をして訪問へ。
その間中、実は鼻水が出て苦しかった。テレビじゃ本州の花粉症の話題で盛り上がっているが、ここ北海道では無縁と思っていた。しかし、どうもこの症状、花粉症っぽい。一体、何の花粉なのだろう…。
懐古の念3月7日 |
今日は北大の合格発表にあわせてチラシ撒き。
の予定が、発表を見に来た受験生の、あまりの少なさに断念。変だな。俺が受験した十数年前は、発表前から黒山の人だかりで、事務員が合格者の番号が書かれたボードを持って現れると、あちこちから悲鳴とも嗚咽ともつかない声が漏れ、その後すぐに歓声と胴上げの声がキャンパスにこだましたものだが。今日なんて、勧誘に出てきたサークル学生のほうが多かったよ。
なんでだろ〜と思ったら、今はあれなんですね。発表をネットで見ることが出来るんですね。後で岡崎さんに訊いたら、家で合格を確認してから見に来る受験生もいるとか。なんだかな。
十数年前は、家族に合格を知らせるために、大学の玄関前にずらりと仮設の公衆電話が並んでいましたが、今はみんなケータイ。受験番号を確認したら、ケータイをポチポチッ。実に早い。俺の時は公衆電話の前の長蛇の列ができてて、待ってる時間がなんかこう、イライラしてるようなくすぐったいような変な気持ちで、これがまた並んでる人が全員満面の笑みで気持ち悪くて、なんて感じだったんだけど。
それに比べてなんだい、なんかつまんねーの、と今日の発表を見て思ったのですが、今は今で、昔とは違う形だけど、やっぱりドキドキするものがあるのかもしれない、と思い直した。そんなことわかんないもんな。懐古趣味はいけません。
ごめんな3月6日 |
申し訳ないです。「こんなチラシにしようと思うから、絵を描いておいて」と頼んだので、伝わっていると思いこんでいたぼくが悪いです。しかも、出かけたら出鼻をくじかれた感じだし。
明日は駐車する場所もあるのでよろしく。昼飯は明日おごります。
聞いてねえよ3月5日 |
今日の訪問終了時刻は20時。ところが、山田から電話が入った。「あのさ、大学の合格発表で撒くチラシに絵を描いて、印刷もしておいて欲しいんだけど。原稿は市民活動促進センター置いとくから」。なんだそりゃ〜。このツルツル路面では、センターまでどんなに急いでも30分はかかる。センターは21時までしかやっていない。おいおい、なんでそんなに急なんだよ。前もって言っとけっての。だいたい、明日配りに行くなんて話、聞いてねえぞ。「合格発表にあわせてチラシ撒きたいんだよね」「ふーん」くらいしか話してねえだろ。それが明日。チラシは今日これから。しかも絵。俺ひとりで印刷。ふざけんじゃねえぞ。
とカリカリしながら、こなしてしまう自分がイヤ。チラシを受け取りに来た山田曰く、「明日は9時に教育大ね」。あいの里かよ! 山田は近いだろうけど、俺は遠いの! なんだよ9時って!
あ〜、でも行っちゃうんだろうな。くそ、腹立ってきた。昼飯おごれ。
冬に逆戻り3月4日 |
桃の節句ということは本州じゃ花が咲く頃だというのに、一体なんだこの天気。寒いったらありゃしない。とにかく今日は地吹雪がすごくて、訪問先に着くのも遅れるほど。すみません。
今週は合格発表に合わせてチラシまきに行く予定なのだが、晴れてくれるといいな。
新月3月3日 |
桃の節句の今日は新月だったらしい。曇っててわからなかったけど。といって、晴れてたところで月が見えるわけじゃないのに、なにが悔しいのだろうかとちょっといぶかしんでみたり。
パンフレットを刷新しようと案を練っています。
春に向けて3月2日 |
ホント、感動には敏感な人だねぇ。
ぼくが考えていたのは、人類の歴史でいうとほんのわずかな時間しか経験していない都市という新たな環境において、人間が世代を次いで生きていけるように環境を変化させようと動いているのだろうなぁということ。キーワードは都市−地方/集中−分散といったところなんだけど、何のことやら分からなくなってくるだろうし、まだまだ調べている途中だし止めておきます。
本日は友人とすすってまいりました。二杯です。あと春から使おうとしている自転車も見てきました。うーん。2万円は見ておかなくてはな。中古を探そう。
チラシ3月1日 |
えー、そうか? 俺はその言葉にだけは反応しちゃいけないと身構えてしまったよ。
3月初日。今日はとても暖かい一日だった。昼間に車の暖房を切っていても別に寒くないくらい。季節は確実に変わって、また春が来るわけだね。新年度に向けて、いろいろ印刷物も増える。その重要なヒントを、昨日今日の講座でいただいた。あとは乞うご期待。
2002|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
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