2003年1月

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大雪大変1月31日 
 投稿者:山田  03/01/31 Fri 22:51:40

いやあ、今日は一日雪でした。特に我が家の近辺は地吹雪も加わりすさまじいことに。視界が100メートルくらいで泣きそうになりながら運転をしてました。

ところで、最近になって先月掲載されたボラナビの反響が来ています。今日も二件お手伝いできないかとの問い合わせがありました。ありがたいことです。最近は次年度の計画について色々考えているところです。こうした人たちと早く力を合わせていくことができるといいなぁ、と思っています。


ストレス1月30日 
 投稿者:相馬  03/01/30 Thu 20:40:36

この2ヶ月間私をなかせ続けたBEGINの「おつかれさん」も今日で聴き納め。これで安心して車の運転ができるよ。

以前、この歌にひっかけて、子供にこんなにも「おつかれさん」と言わなきゃいけない状況はおかしい、ということを書いた。最近私は「ストレス」という言葉が気になっている。訪問先の子供たちも「ストレス」「リラックス」とやたらに使う。

私が子供の頃には「ストレス」なんて言葉は知らなかったんじゃないかと思って、同年代の友人何人かに聞いてみたら、「知らなかったと思う」とやっぱり同じことを言う。もっとも、都合よく忘れてしまってるだけかもしれないが、それにしてもそう一般的な言葉ではなかったはずだ。少なくとも、子供の口からこんなに飛び出す言葉ではなかったに違いない。

それだけ子供を取り巻く状況が過酷になっているのかもしれない。でもなー、と私は疑ってしまう。大人が教え込んでいる部分も大きいんじゃないだろうか。口真似である。それにしても、一体誰がこんなに「ストレス」という言葉を広めたのか。そいつは誰だ。責任者出て来い。そしたらこんな答が返ってきた。「森高のせいじゃない?」 確かに森高千里は「ストレス」という歌を歌っていた。そうか、そうかもしれない。じゃあ仕方ないな。森高だもの。許す。


ブレインウォッシングじゃないよ1月29日 
 投稿者:山田  03/01/29 Wed 22:41:47

今日もなんだかおかしな天気でしたねぇ。

午前中は道はカラカラだったのに、午後は寒くなってきて帰りはツルツル。走るのが怖かったなぁ。

それはそうと、漂流教室の次年度の動きを考え始めています。まだブレインストーミングの段階ですが、次年度はなかなか面白いことができそうな予感。楽しみにしていてくださいね。


予行演習1月28日 
 投稿者:相馬  03/01/29 Wed 00:26:36

昨日、今日と変な天気。昨夜は家が吹っ飛ぶかと思うほどの大風だったが、今朝は雨。気温が高い。3月下旬の気温だという。外に出た瞬間、春先の匂いがした。カエル捕りに行かなくちゃ。条件反射的にそう思う。子供の頃の記憶を思い出させる匂いだ。

雨をついて出かけたはいいが、とにかく道がひどい。わだちに嵌って、車体があっちへ飛びこっちへ飛び、危なっかしくてしょうがない。こんなときにはRV車が欲しくなる。

訪問家庭も1件増え、コース変更のお宅もあり、今週に入って急に忙しくなってきた。今回、道が悪いのはたまたま暖かくなったからだけど、これが3月になれば連日こういう状態なわけだ。移動時間は余裕を持って。いい練習になったと思えば、まあ、この路面状況も悪くはない。


がっくり1月27日 
 投稿者:山田  03/01/27 Mon 23:59:41

早いもので今週で一月も終わりです。この調子だと、またあっという間に年末だ。

訪問が終わり家に帰ってきてから、こないだ作ったパネルを見るとガーン。
ぴちぴちに貼ったビニールテープが縮む力に耐えきれず、外れちゃってました。
ああ、直さなきゃ…。


のんびりした日1月26日 
 投稿者:相馬  03/01/26 Sun 22:09:08

山田宅で朝の5時まで麻雀。その後、のんびり車を走らせて帰宅したら、6時半近くになっていました。先日、日の入りの時刻がだんだん遅くなっているという話をしましたが、6時半ではまだ日の出に到らず。暗い道を運転していると、そんな時間にも働いてる人はいるし、家路途中の人はいるし、走ってる人はいるし、犬の散歩をしている人はいるし、いろんな人を見かける。朝の早い時間も面白いものです。

家に着いてからはバタンキューで、昼過ぎにのそのそ起きて、ご飯を食べてまた寝ました。明日は久しぶりに新規の説明訪問がある。頑張るぞー。


モンドリアン1月25日 
 投稿者:山田  03/01/25 Sat 22:08:09

2月1日、2日にかでる2・7で行われる「市民活動全道フォーラム」に展示するパネルを作るため、午前中からいつもお世話になっている道立市民活動促進センターにて、相馬氏と作業。

2月は月末にも市民活動関係の集まりに出席することになっていて、自分たちの活動をPRする月間です。気合を入れて宣伝パネルを作りました。ネコも手伝ってくれて、仕上がりは上々。モンドリアンに感謝。

その後、訪問をして帰宅。いま、背後から中国語が聞こえています。何をしているかみなさんのご想像にお任せします。


春思う1月24日 
 投稿者:相馬  03/01/24 Fri 22:24:32

冬至からひと月あまり、徐々にではあるが確実に日が長くなっている。ちょっと前までは4時にはもう真っ暗だったのが、今は5時でも薄暗い程度だ。春を思って嬉しくもあり、増える紫外線を思って悲しくもあり。「漂流教室」としても来春に向けて新たな展開を考えている。PRなどいろいろ。

本日は、石狩の親の会「かめの会」に参加。ここのお母さんたちはとにかく元気がいい。一緒に来ている子供たちも元気がいい。負ぶってくれ、とせがむ子供を持ち上げてぐるぐる回って暴れたが、明日の朝が心配だ。腰をいわしてるかもしれない。会報ももらってきたが、今回で3号目、内容がどんどん充実してきている。負けていられない。

いま、「千と千尋の神隠し」を観ながら作業をしているが、宮崎アニメはどうしてこう台詞が微妙に棒読みなのだろうか。宮崎監督には、ぜひ歌舞伎調な台詞回しのアニメを作ってもらいたい。彼にしかできない挑戦だと思うんだけど。


漂流レシピ1月23日 
 投稿者:山田  03/01/23 Thu 23:13:27

ネタにつまると出てくると通信に書かれたこの企画、本日もいってみよー。
【シャケ缶汁】
1、実家に帰り、生活を心配されてシャケ缶をもらいます。
2、以前にも同じようにしてもらった昆布でだしをとります。
3、「ちゃんと食事くらい作っているよ」と思いながら水気を良く切った豆腐を昆布だしに入れ、火を通します。
4、シャケ缶を投入し、塩で味を調えて完成です。

仕上げの塩はひとつまみ程度。お好みでネギを入れても良いでしょう。


ひねくれ発言1月22日 
 投稿者:相馬  03/01/23 Thu 00:21:37

山田さん、担当は1月21日の分ですよ。日付だぶっちゃうじゃないか。

「やらないこと」に備えるより「やらなきゃいけないこと」をやりなさい、というのも正論ですね。

氏家先生の研究会。現職教師による小学校の話。新指導要領導入で、教師はとっても大変らしい。それでも頑張ってます。今までのやり方では通用しないし、学校は変わらなきゃならないと思うから。そういう話。私は相も変わらずひねくれてるから、あんまり変わんないで欲しいなーなんて思って聞いていた。だって、自分の頃とまるで違う学校になっちゃったら寂しいじゃない。それに、少人数学級やチーム・ティーチングってうまくいかないだろうと思ってるし。いや、いい面があるのはわかるんだけど。

なんて、変わらなければ変わらないで、やっぱり文句を言うのでしょうが。でも、「変わらないよな」という文句と「すっかり変わっちゃった」という文句では、同じ文句でも、何かこう、温かみに微妙な違いがあるように思われる。

とにかく、改めて感じましたが、教師も楽じゃありません。ま、大変と言えるようになっただけいいのかもしれないけど、ホントのホントは大変じゃなくなるのがいいんじゃないかしら、とも思います。「大変だけど必要なんだ」は「大変だから必要なはず」に摩り替わりやすいし。大変な思いしたがりな人、ってすぐ現れるし。以上、いろいろひねくれた。失礼。


忘れた1月22日 
 投稿者:山田  03/01/22 Wed 10:00:20

ありゃ、勘違いしてました。今日(もう昨日だが)は、ぼくの番ですね。

下の相馬氏の話し。「する気のないもの」「する可能性のないもの」について考えられることが精神の余裕ですね。

あと、隠した正解を当てられる子どもがいい子どもだという教え方ばかりだから、不登校で困ったときにも「学校へ行く」という正解しか認めないんだろうなと思うのです。まったく
>要らない可能性をひとつ潰せば、悩みがひとつ少なくなる。そうやって悩みを
>減らしていったとき、こどもに向かい合うのは、不登校に対してある答を
>持つ“私”になってしまうのじゃないか。それが怖い。悩んでいる困っている
>人間と、答を持っている人間とでは、どうやったってうまくいかないと思える
>からだ。
と述べられていることには賛成ですね。

「効率的」で「実行力」のある「方策」を「速やか」に求める人は、切り捨てているものが多いことを忘れないようにしなくてはならないでしょう。ことに教育では、個人の成長を目指すのですから、個々を切り捨てることがあってはならないわけです。

さて、これから促進センターに向かいます。


必要のない用意1月20日 
 投稿者:相馬  03/01/20 Mon 22:20:24

1月12日の日誌に書いた「悩み」について。

例えば、学校に行ってないこどもと相対したとき、「学校くらい行っておけ」「そもそも我慢が足りないんだ」なんてことは、ほぼ絶対といっていいくらい言わない。むりやり学校まで連れて行く、なんて極端な方法を採る人もあるらしい。これもやって出来ないわけではないが、まず間違いなくやらない。言わないこと、やらないことはいくつもあるけれど、それを言うとしたら、やるとしたら、どのようにするかということを考えなくてはならないのじゃないか。そういう思いが頭をよぎることがある。

もちろん、実際そういう場面になれば、例に挙げたようなことはしないのだ。しないけれど、しないからといって考えないのもマズイ気がする。「漂流教室」は家庭教師とは違う。違うが、家庭教師のするようなことも用意しておくことは必要なのではないだろうか。これも、実際にはしないのだけど。

うまく説明できないが、「する可能性のないものの用意」「する気のないものの準備」、仮に呼ぶならそんな感じのもの、そんなものも必要じゃないだろうか。可能性はどんな方向でも潰さない。それを使うことがないにしても。

要らない可能性をひとつ潰せば、悩みがひとつ少なくなる。そうやって悩みを減らしていったとき、こどもに向かい合うのは、不登校に対してある答を持つ“私”になってしまうのじゃないか。それが怖い。悩んでいる困っている人間と、答を持っている人間とでは、どうやったってうまくいかないと思えるからだ。

河合隼雄の本は読めば読むほどわからなくなる。それは、「こうするのが良い」という“解答”を著者が徹底して避けているからで、それはとても誠実なように私には映る。だから、読んで何を得た、とはっきりは言い難いのだけど、何か抱えている悩みを照らすようなところがあって、もう3回くらい読んでいる。


映画鑑賞1月19日 
 投稿者:山田  03/01/20 Mon 00:11:47

映画「刑務所の中」を見る。これは24日までしか上映されていないから、興味のある向きは原作のマンガを読むことをオススメする。以前、相馬氏の言っていた「新しい学校」の話しがよくわかること請け合いです。

で、この映画の中では刑務所での食事が詳しく描かれているのだけど、これが大変うまそうで、帰宅後に映画の中に出てくる春雨スープを作成して食べました。ビューだよ、ビュー。


内緒の話1月18日 
 投稿者:相馬  03/01/19 Sun 01:44:09

そうなんだよ、バナナがさ。こうなりゃ、俺が世界最後のバナナを食うよ。

今度、市民活動促進センターでNPOの広報について講座を開くという。講師を務めるのは埼玉の方で、事前打ち合わせに昨日から札幌入りしているという。しかも、我が「漂流教室」にいたく興味を持っているという。話を聞きたいのだという。こちらも広報について思うところあり、むしろお願いするような形で諒解した。

その大切な打ち合わせに、前日、朝の5時まで飲んだくれ遅刻して登場。しかも、酒のにおいをぷんぷんさせて現れた大バカ野郎がいる。誰だそれは。済まぬ、俺だ。

講師の方は、そんなすっとこどっこいにもいやな顔ひとつせず、いろんな話を聞かせてくれた。特に、広報について非常に有意義なサジェスチョンをいただいた。いま、私の頭の中は、これからの展開に向けていろんなアイディアが渦巻いている。どんなアイディアか。それは企業秘密だから言えない。そうだな、紙芝居とだけ言っておこうか。それ以上は内緒。


Countdown to Extinction1月17日 
 投稿者:山田  03/01/17 Fri 22:30:18

なんだかんだ考えている内に、君の大好きなアレがこんなことになっているぞ。

> バナナが10年以内に絶滅も、科学的な助力ないなら=学説 (ロイター)
>[ロンドン 15日 ロイター]世界的に人気の高い果物の1つであるバナナが
>長年にわたり繁殖しておらず、このままでは将来絶滅する恐れがある、との学説が
>発表された。
>発表したのはフランスのモンペリエに本拠をおく「バナナ・オオバコ改善国際
>ネットワーク」のトップで、ベルギー出身の植物病理学者エミル・フリゾン氏。
>同氏は、バナナは繁殖能力も種子も持たないため、科学的な力を借りなければ
>今後10年以内に絶滅する可能性がある、と指摘する。
>バナナには、現在バナナ農園に蔓延している病気や害虫を克服するための
>遺伝的な多様性が欠如しており、この状況を救えるのは生物的・遺伝的な操作
>しか考えられない、という。
>この学説を紹介した英科学誌「ニュー・サイエンティスト」は、
>「フリゾン氏は(科学が)バナナにとって唯一の希望、との見方を示している」
>と記述。
>もし科学的な助力がなければ、バナナの生産は減少し、絶滅への第一歩が刻まれる
>可能性がある、という。
>同誌は、「飢餓に苦しむ人々や貧困にあえぐ人々の命を救うとともに、
>世界のスーパーマーケットの棚の常連であるバナナが、絶滅する可能性さえある」
>と付け加えた。

「バナナ・オオバコ改善国際ネットワーク」の「オオバコ」って、あの草相撲に使ったオオバコだよね。どうしてこの二つがセットになったのだろう。


再オブジェクション1月16日 
 投稿者:相馬  03/01/16 Thu 23:36:59

なるほどなるほど。言葉が少し足らなかったかもしれない。言い方を変えよう。「成人式の由来や年齢の根拠を持ち出して現状を云々するのは意味がない」。だから、もし元服の話が単なる雑学、好奇心から調べただけのものなら、牛太郎の話と同じだからこれには当たらないけれど、如何に。

なぜ意味がないかといえば、そこから導かれるのは成人の年齢を早くしろとか遅くしろとか、結局、線をどこに引くかという話でしかないからだ。25歳が30歳でもかまわない。ゴールラインをずらしただけである。ゴールとは何か。「一個の完成した人間」だ。そんなことをしているうちは、高齢化社会だと後ろにずらしたところで、また追いつかれて同じことになるだけだろう。

では、「20歳で条件つき大人、30歳で限定解除」の意味するものはなにか。ここに示されたものは、「大人になっても成長する」という事実だ。ゴールではない。スタートラインを設定している、ということが重要なのだ。ゆえに、「“20歳で一個の完成した人間になっていなくてはならない、というどこかの思い込み”という文言の、年齢を変え、“どこかの思い込み”を“法律が言っている”という言葉に変えただけに見える」という見方は当たらない。

それに「30歳で限定解除」というが、これも一応の話で、そこに至っても一人前なのかどうかは実はわからない。結婚して一人前、家を持って一人前。基準はいくらでもある。まして、個人の内なる基準を考えるなら、ゴールの設定はますます無意味だ。それこそ際限がないからだ。行き着く果ては葛飾北斎か。北斎は、齢90を数えるようになって、「やっと本当の絵が描けるような気がする」と語ったという。成長は続くし、ゴールはない。

もちろん、これとて、30歳がゴールであり、そこまでに人格を完成せよと勘違いする人も出てくるだろう。それは仕方ない。しかし、最初からゴールの線引きしか考えない思考、それしか導かない「由来」とは、指す方向が明らかに違う。違うなら、いつか状況は変わるはずと、私はいたって楽観的に捉えている。どっちにしたって、ゴールの設定を考えているだけじゃ何も変わらないのだし。


それはそれとして、猛威を振るうインフルエンザ。長野の老人ホームでは、なんと7人が亡くなったという。くわばらくわばら。訪問先で、冬の滝野自然公園はとても面白いという話を聞いた。5人いれば団体扱いで申し込めるという。大いに外で遊んで、体を鍛えるのもいいかもしれない。


うーん、そう考えるのか1月15日 
 投稿者:山田  03/01/16 Thu 01:07:41

君がフィリッポスやらポン引きについて考えるのとぼくが成人式の由来について考えるのとには、衒学的であるという点では大した差は無いと思うんだけどな。「牛太郎」なんて手垢まみれどころか、化石になっているんじゃないの。

三十歳くらいまでに一人前になれと法律は考えているという君の意見、「20歳で一個の完成した人間になっていなくてはならない、というどこかの思い込み」という文言の、年齢を変え、「どこかの思い込み」を「法律が言っている」という言葉に変えただけに見える。「人ト成レリ」というのを自分以外のものが判断しようとすれば、畢竟何かを基準にして達成できたらオトナという思い込みにすがる他はないから、それはしょうがない。しょうがないけれど、そこには個人が自分をどう捉えているかが入る余地はない。

基準は納税額や性別だった時もあるが、今は年齢のみになっている。だから、色々な解釈ができる。君のように二十歳でスタートライン、三十歳までにどうにかなりなさいと捉えることもできる。しかし、元を質せば二十歳で一人前という御仁も法律も同じ穴の狢。解釈は時と場合と人によって変えることができる。だから、ぼくはそんなに楽天的にはなれない。世の中はその解釈を自分に都合の良いように変えながら生きる人の方が多いように見受けられるから。そう思うと、やっぱり、おめでとうと言ってよいのやら。とりあえず、上手に世渡りしていってねというエールを贈るくらいかな。

もっとも、法律はぼくなんかよりも頭のいい人が考えたのだろうから、被選挙権は「限定を解除しますよ」ということじゃなくて、その年齢なら世の中の色々をわかって意見の調整ができる人の割合が多くなっているだろうという安全策なんじゃないかと思うけどね。


オブジェクション1月14日 
 投稿者:相馬  03/01/14 Tue 20:48:42

そもそも20歳で成人というのは、徴兵の年齢から決めたということらしいですが・・・。

ぶっちゃけた話、私は、成人式の由来や成人年齢の根拠なんて別にどうでもいいと思っている。そんなカビの生えたようなものを引っ張り出してくるのは意味がない、と思っている。そう思うようになったのは、つい最近のことだけれども。(本当につい最近なので、少し後ろめたい)

少し前までは私も、成人の年齢を引き上げてはどうか、なんて考えていた。30歳くらいまでにどうにかなればいい、と思っていた。しかし、そんなことを主張する必要はないと知った。なぜなら、30歳くらいまでにどうにかなりなさい、というのは現状でしっかり定められているのだから。

20歳で「成人」。字の如く「人に成る」のである。諸々の制限がとれ、その代わり義務も負うことになる。だが、20歳ではまだ許されないこともあるのだ。被選挙権。衆議院議員、もしくは市町村長に立候補できるのは25歳以上、参議院や知事選に出るなら30歳以上でなくてはならない。つまり、20歳というのは“一応”大人、条件つきの大人であって、限定解除は30歳からなのだ。せっかく20歳になったんだから大人の端っこに入れてやるけど、本当の大人になるにはあと10年はかかるよ。頑張って一人前になるんだよ。そういうことを、この制度は言っている。

そう考えれば、「20歳だからもう大人」と言われるのも、「20歳じゃまだガキ」と言われるのも、どちらも正しい。大人になってからも成長するのだ。当たり前のことである。20歳で一個の完成した人間になっていなくてはならない、というどこかの思い込みが話をおかしくしているだけなのだ。20歳はひとつの区切り。そこから長い大人の道が始まる。成長の道である。そのスタートラインに立ったのだ。だから、かける言葉は決まっている。「おめでとう」だ。成長を哀れむ必要はない。


21の都府県で「いじめ、不登校を減らそう」と数値目標を定めたそうだ。またぞろ批判が噴出すると思うが、例えば、学校経営に民間の視点を、なんてのは結局こういうことをしようということじゃないのか。こどもが生き生きと学ぶ学校、なんてのは達成率100%のノルマを課すことではないか、などと思うこともある。さて。


成人式1月13日 
 投稿者:山田  03/01/13 Mon 23:00:13

成人式。これは戦後始められたものだそうですが、昔々の中国にあった元服という儀式が底に流れているようですね。元服の「元」は頭、「服」は冠を意味し、一人前だと冠をかぶるということだそうで。その年齢が二十歳でありそれを元に成人の年齢が決められたとか。ちなみに「弱冠」という言葉の「弱」は二十歳を意味するということです。

さて、これは紀元前の中国の話し。現代よりも平均年齢は大分低かろう時代です。高齢化社会と言われて久しい現代日本、人生の終わりが八十代にシフトしているのですから、始まりも後ろにシフトさせてもいいのにと思うのです。お腹の中でカンガルーみたいに育てろというのではなく、成人の年齢を二十五、六〜三十歳くらいにすればいいのにということです。

それに、働く=会社・公務に勤めるということになっているこの社会では、その年齢が働き初めになる人が多いわけです。「新入社員」という言葉から二十歳を思い浮かべますか?

「マナーが問題に」とか例年どおりの報道を見聞きしながら、「二十歳だからもう大人」と言われたり「二十歳じゃまだガキ」と言われる、世の中からは思春期と同じ扱いしかされない、かわいそうな二十歳に思いを馳せるのでした。

そういや、漂流教室のボランティアも二十歳だったな。今度会ったら「おめでとう」か「かわいそうに」、どちらの言葉をかけようか。


またも名前の意味もしくは雑学1月12日 
 投稿者:相馬  03/01/12 Sun 22:35:37

『美味しんぼ』で「ポン酢のポンとは何か」を解明する回があったが、「ポン引き」の「ポン」とは一体なんなのか。急に気になって調べてみた。「ポン引き」というのは最近になって使われるようになった言葉で、元は「ほん引き」といったらしい。そこまではわかるが、その先がわからない。博打に「手本引き」というのがあって、これは何か関係あるのだろうかとも思うが、はっきりしない。

まあ、調べたといっても手近にある辞書とインターネットでちょいちょいとやっただけなので、少し真面目に取り組めば案外すぐわかるかもしれない。

「ポン引き」には「牛太郎」という呼び方もあって、これは吉原で客引きのことを「妓夫(ぎゆう)」と呼んだところからきている。「ぎゆう」が縮んで「ぎゅう」になり、それに「牛」の字を当てたものらしい。古い本を読んだり落語を聞いたりしてると、「牛太郎」が顔を出すので、これは知っていた。「早桶屋」という落語でも妓夫太郎というのが出てくる。騙され役で。

昨日は札医大で開かれた、高機能自閉症の講演会に参加するはずだったが、会場がわからず断念した。その代わり、近くの古本屋でキング・クリムゾンのミニアルバム「Shoganai」と河合隼雄『カウンセリングを語る』上下巻を見つけたので、かえって良かったとも言える。『カウンセリングを語る』は、最近の私の悩みにかなり示唆を与えてくれそうだ。詳しくはまた書く。


減量開始1月11日 
 投稿者:山田  03/01/11 Sat 23:21:32

年頭に決意したとおり、ダイエットを開始しました。つどーむにて運動です。

いやー、体が重い。15キロも体重が増えると、走るのが辛い。2キロ走ったところで、自転車こぎに変更。その後、腹筋をして再度自転車こぎ。終了後体重を量ると、300グラム減っていました。

今度はもっとゆっくりと、もっと長く走ろうと思いました。とはいえ、一週間に二回くらいは走らなければならないわけですが。


名前の意味1月10日 
 投稿者:相馬  03/01/10 Fri 22:32:08

My name is KANEKO.
What does KANEKO mean?
It means "golden child".

ラジオで英会話講座を聴いてたらこんなことを言い出した。待て待て。えー、そうか? それでいいのか? 「金子」の意味はと問われて、「golden child」で本当にかまわないのか?

これまたやっぱりラジオで仕入れた知識だが、東方遠征で名を馳せたギリシャのアレクサンドロス大王。名前の「アレクサンドロス」とは「守る者」という意味らしい。日本語にすれば「守男」である。守男。What does MORIO mean? It means "Alexandar". てなもんである。ちなみに「アレクサンドロス」の漢字表記は正しくは「歴山」となる。

アレクサンドロス大王の父親がフィリッポス2世である。東方遠征はこの父の遺志を継いで行われたのだが、「フィリッポス」(英語では「フィリップ」スペイン語では「フェリペ」)とは「馬を愛する者」の意味だという。そこで私はふと「西遊記」を思い出す。斉天大聖・孫悟空の天上界での仕事は馬屋番であった。役職を「弼馬温(ひっぱおん)」という。「フィリッポス」と「弼馬温」。なんとなく似てはいまいか。もちろん、ただの偶然だろうが、そういうことを考えるのは楽しい。


なんだか疲れた1月9日 
 投稿者:山田  03/01/09 Thu 23:03:51

漂流通信最新号完成!そして、次号からは新紙面に。乞うご期待。アンド好評を頂いている相馬氏の一こまマンガ漂流男シリーズがまるで一冊の本のように読める「ひょうりゅうてちょう」も完成!これはいいよ。

本日山田の担当訪問家庭は二件とも風邪らしく中止。お大事に。


ボーリングした1月8日 
 投稿者:相馬  03/01/08 Wed 17:20:11

新春ボーリング大会。訪問先の子が行ったことがないと言うので、今日は一緒にボーリング。高校生の頃、時折通ったボーリング場へ。実に久しぶり。

腕が錆びついてるんじゃないかと心配だったが、なんのなんの。これがゴルフならタイガー=ウッズと優勝争いできるくらいのスコアを叩き出した。まあね。こんなもんですよ、昔から。ええ。

でも、体力は確実になくなっているのが悲しい。それにしても、ボーリング場のジュースってのは、相変わらず高いね。いったん仕入れてしまえば、いくらで売っても自由なんだろうか。知りたいところです。


運転免許1月7日 
 投稿者:山田  03/01/08 Wed 00:22:00

午後の訪問後、免許の更新に行って参りました。もっとも後日交付なので、講習はまだ受けていないし、新しい免許もまだもらっていないのですが。

それにしても、免許の写真というのはどうしていつも犯罪者風に写るのでしょうね。今度の写真は一体どうなっているのか、不安でもあり楽しみでもあり。

来週には新免許です。またゴールド免許になるように無事故無違反で三年間過ごしたいな。


仕事始め1月6日 
 投稿者:相馬  03/01/06 Mon 19:59:43

眼鏡をあつらえたら、なぜかとたんに美人が減った。

世の中の大半は今日から仕事始めらしいが、幸い私は月曜の訪問はない。外を見ると大雪である。はっはっは、みなさんご苦労であることよ。こちとら予後の酒で養生養生、と酒瓶に手を伸ばしたところで、1件、振り替えで訪問が入っていたことを思い出した。しぶしぶ車を掘り起こし、年始まわりの車の列へ加わった。

訪問終了後、山田と落ち合い、今年初めての打ち合わせ。その後、「たのしいモグラクラブ」へ年始の挨拶に出向く。他所へも順次まわる予定。帰途、創成川沿いに車を走らせれば、JRタワーの向こうに鎌のような月がぬっと顔を出した。


正月終了1月5日 
 投稿者:山田  03/01/05 Sun 21:30:56

今朝は早起き。六時には起きました。正月帰省していた友人を千歳に送るためです。

まだ暗い内から高速を走ること約一時間、空港に着くとUターンラッシュで人がごった返していました。慌ただしく搭乗手続きを済ませて友人は帰ったのです。次に帰省するのはゴールデンウィークらしいのですが、さてさて、その時には漂流教室も約一周年です。早いなぁ。

ということで、正月モードは終了。明日からまた走り回ります。あ、漂流通信も新年号を作らなきゃな。


眼鏡新調1月4日 
 投稿者:相馬  03/01/04 Sat 21:56:41

どうも昨年末に眼鏡をなくしたらしい。らしいというのは、大晦日から昨日まで寝込んでいて、起きたらなくなっていたので、恐らく最後に出歩いた30日になくしたのだろうと。当然、どこでなくしたかなんて記憶はナシ。

しかし、眼鏡がないと車の運転ができない。車の運転ができないと訪問ができない。それで仕方なく、眼鏡屋さんに行って作ってきました。万年筆代が眼鏡に消えました。

まあ、前の眼鏡も全然度が合ってなかったから、ちょうどよかったんだけどね。

正しい視力は0.04とのこと。20歳くらいまでは2.0だったので、当時の50分の1の視力しかない、逆に言うと、当時は今の50倍の視力があったことになる。50倍。本当かよ。なんか、すごい見えそう。透視とかできそう。

視力0.04の私だが、普段は眼鏡をかけていない。コンタクトもしてない。車に乗るときと、本屋とCD屋でだけ眼鏡をかける。それで別に不自由はない。知った人なら眼鏡の力を借りずともわかるし、わからないのは知らない人だから、眼鏡をかけても仕様がない。だから困りません、と言ったら眼鏡屋の店員がははあと感心していた。


かわらじの1月3日 
 投稿者:山田  03/01/03 Fri 22:30:37

いやいや、贅沢で太っているわけではなく、昼夜逆転とか不規則な食生活とか不節制が原因です。

今日は新年初の訪問でした。特に何が変わるでもなく、先週と同じように。
こうしてまた一年を過ごしていくのです。


まだ寝ている1月2日 
 投稿者:相馬  03/01/02 Thu 23:29:47

そんなに太る余裕がありながら「生活が苦しい」なんてどの口が言うのか。俺なんてやせっぱなしだよ。

さて、朝方には熱も36度台に下がり、喜んでフラフラ飛び歩いたのが祟ったか、またまた38度近くまで急上昇。ベッドに逆戻りと相成った。肋骨の辺りがひどく痛い。しかし、たかだか1度2度の差でここまで体調に変化が出るのだから。地球の平均気温が1度上がったり下がったりするというのは、実に大きな影響を及ぼすのだろうと推察。

せめて寝てる時間を有効に使おうと、あれこれネタを考えてその数100ほどになったのだが、うなされながら考えたせいか、どれもさっぱり覚えていない。唯一例外が「毛ずねストッキング」というもので、その名の通りストッキングに毛が生えている。しかも裏側に。これだけはなぜか忘れなかったが、なぜそんなものを考えたのかはどうしても思い出せない。


衝撃と決意1月1日 
 投稿者:山田  03/01/01 Wed 14:59:43

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

今日実家で体重を量りました。60キロそこそこかなぁと思っていたら、75キロになっていました。どうりでズボンが入らなくなったわけです。

ダイエットをします。目標60キロ。


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2003|010203040506070809101112
2004|010203040506070809

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